2021年12月28日火曜日

2021/12/28(火) クリスマスページェントを振り返って

 今週の土曜日から、早くも2022年になります。来年こそ、コロナが明けて日常を取り戻すことができるようにと願っています。

 さて、元郷園にとっての近々のトピックスは、何といっても12月24日(金)に演じたクリスマス・ページェント(イエスさま誕生の劇・聖劇)でしょう。私はクリスチャンなので、さくらそう保育園元郷に年長児が在籍する2021年のクリスマスには、ぜひともページェントをやりたいと願っていました。そこで私は、僭越ながら、脚本家兼作詞作曲家として、A4用紙5ページにわたる長大なセリフや聖句による台本と、12曲中9曲に及ぶ聖劇用のソングを作りました。それを基に、なおさんが総指揮官となって、2~5歳児クラスさん総出で演じたのでした。特に、中心となって活躍した年長児、おはな組さんの9名には、セリフ、聖句、歌のすべてを記憶し、それぞれの役割に応じて響き渡る声で演じることを、私は求めました。

 結果は・・・最高でした。皆さん、素晴らしかったです。ありがとう!

 おはな組のみなさんは、生まれて初めて次のような学びをしたと思います。

・台本を頭に入れる喜びと苦しみを学びました。
・独りで言ったり歌ったりするということは、想像以上に勇気がいることだと学びました。
・モジモジしたり笑ったりしながら演じることは、恥ずかしいことだと学びました。
・出番が無い時にこそ、背を伸ばしてキチンと座り続けることが、お友だちが演じているときの態度として必要で、とても気力を使うものだと学びました。
・みんなで心を一つにして演じることができたときは、気持ちがいいのだと学びました。
・間違えても、心を込めて演じることができたら良いということを学びました。
・一生懸命にやった後には、涙がでることを学びました。

 さくらそう保育園は、基本的に自由保育ですから、「大人の指示通りに動いてもらう」保育は好みません。ですから、全体的なお稽古は、3回しか行いませんでした。4回目となる本番が、この録画された動画の内容です。それ以外は個人練習で、昼食と午睡の間の時間にのみ行いました。昼食と午睡の間の時間ですから、自由な活動を阻害するということは、最小限ですんだと思います。

 何故3回しかやらなかったのか、それは、「やりすぎると嫌になり、やらなすぎると不安になる」、そのちょうどいい塩梅が3回だったと言うことです。でも、3回ではなんか不安なんですけど・・・。お子さんたちを信じることができれば、3回で充分だと思います。

 さくらそうは、これからもお子さんたちを信じていきたいと思います。

 それではよいお年を。

2021年12月1日水曜日

2021/12/01(水) 学力とは何か?

 NHK「おかあさんといっしょ」の番組開発で有名な、お茶の水大学名誉教授、内田伸子先生の論文、教育社会学研究第100集「学力格差は幼児期から始まるか?」~経済格差を超える要因の検討~のなかに、興味深い記載がありましたので紹介します。


 これは、2012年に東京、ソウル、上海の3~5歳児1000名、合わせて3000名に個別の臨床面接調査を行った結果をまとめた表です。壮大な研究ですね。内田先生によると、「子どもの語彙力について、幼稚園と保育園による違いは、調査の結果認められませんでした。しかし、自由保育か一斉保育かでは、明らかな違いがみられました。自由保育、子ども中心の保育、自由遊びの時間が長い保育所の子どもの語彙力が高かったのです。」という結論でした。

 内田先生は、どうしてこの論文を発表したのでしょうか?それは、2010年7月に当時の文部科学省幼稚園課が、「幼稚園卒の子どもは、保育所卒の子どもよりも成績が高い」と発表したことへのアンチテーゼのようです。私も当時、この文科省の結論は腑に落ちなかったことを思い出しました。

 さて、この表から、「読みと書き」については、幼稚園・保育園・自由保育・一斉保育の差はないということを読み取ることもできます。これは、個人的には驚きでした。あくまでも語彙の多さについてのみ、差があったということなのですね。これについて内田先生は、別の論文で「50の文字を覚えるよりも100のなんだろ?を育てたい」と進言しています。「50の文字を覚える」は読み書きすることを表し、「100のなんだろ?」は語彙を増やす具体的な活動を表していると思います。「なんだろ?」は語彙力に直結し、語彙力と学力は密接な相関関係があるということですね。

 さくらそう保育園の自由遊びや、それぞれのご家庭での団らんの中で、「なんだろ?」と感じる場面にたくさん遭遇し、その子なりの答えを見つけ、その答えを喜びの中で保育士と共有していくことで、学力がついていったらと思います。

2021年11月1日月曜日

2021/11/01(月) ことばが増えて楽しいです

 日中は過ごしやすくなってきた代わりに、朝夕は寒さを感じるこの頃です。お子さまたちの言葉に耳を傾けていると、楽しい毎日です。

 一例をあげますね。先ずは1階の1歳クラスのEちゃん、大好きな「とまとさん」の絵本を読んでもらい、満足して絵本を閉じた瞬間に、ニコニコしながら「おんまい!」可愛い幼児語ですね。Eちゃんは、他にも「かーとーし」(カブトムシ)、「こーた」(くわがた)...。これが、一週間経つと「くわったー」(くわがた)に変わっていました。日々、変化しているようです。


 一方、1歳クラスのKちゃんは、「がんもーし つめた」(だんごむし みつけた)。これは、その場に居合わせないと、訳すことは不可能だと思います。とにかく、こんな表現に出会うと、思わずニヤリと笑ってしまいますね。

 2階さんは、2歳クラスのMちゃん、「Mちゃんねえ、プリキュアのカレーがほしいの」。どうやら、お友だちが持っているプリキュアのカレーの空箱が欲しくなったようです。私が、「ママとパパに言って、買ってもらったらどうかな」と提案しますと、「ぱぱとまま、さいきん、おこるんだよね」。小さなMちゃんが、真顔で「最近」という単語を使っている、それも正しい使い方で...。どこで覚えたのかは分かりませんが、そのギャップに大笑いでした。

 3階さんは、4歳クラスのYちゃんです。保育園見学のお母さんが、赤ちゃん連れで見学をしていますと、ニコニコ寄ってきながら赤ちゃんを見て、「かわいいねえ、なまえなんていうの?」。お母さんが我が子の名を告げると、「おとこのこ(おんなのこ)のなまえだね。」。そして、赤ちゃんの顔を見ながら、再度「かわいいねえ」。その言葉を聞いたお母さんは、Yちゃんに対して、思わず「ありがとう」と感謝の意を表すのでした。

 同じく、4歳クラスのS君です。保育園見学のお母さんに対して、新聞チラシをチケットのように切り取ったものを入場券に見立てて、「どうぞ、こちらをおもちください」と言って券を渡しました。続いて、「おかえりのときは、こちらのけんを、○○のところにおもちください」と言って深々とお辞儀をしたのです。その振る舞いは、紳士そのものでした。


 YちゃんやS君の言動によって、見学という緊張した場面が、一転して和やかな空気に代わったのは言うまでもありません。お二人さんは、最高の営業マン、優秀な人材です。将来は、ぜひ我社に就職してください。

 お子さまの言葉に耳を傾ける喜びが、保育園の中にあります。

2021年10月1日金曜日

2021/10/01(金) 一緒に生きてゆけたらいいなあ

 子どものいざこざを俯瞰してみますと、そのお友だちへの興味関心があり、本当は仲良く遊びたいんだけど、上手く意思の疎通ができなくて、結果として「いざこざ」になってしまうケースがほとんど全てのような気がします。一方、そもそも関心がなくて仲良しになる気もない場合は、「いざこざ」まで発展しませんね。しかしながら、クラスの仲間という大きなくくりは理解しているようで、お当番活動で一緒になったりするときは、肩をつけあってニコニコしています。

 ノンフィクション作家のブレイディみかこさんは、著書「他者の靴を履く」(文芸春秋)の中で、シンパシーとエンパシーについて述べています。直訳すると、どちらも「共感」となるようですが、自分と意見が同じであるが故の「共感」をシンパシーと表し、自分の意見とは違いがあっても、それでも知力によって「共感」を目指そうとする能力のことをエンパシーと表すようです。これをニュースとして朝日新聞に載せた、宮地ゆう記者は、「自分と異なる他者を理解するには、地味な努力がいる。だが、それは自分が生きやすい社会をつくることだと気づかされる。」と結んでいるところが興味深いと思います。真の平和というのは、意見の違う人を拒絶するのではなく、理解しようとすることによってのみ、実現できるのですね。

 三十番地キリスト教会牧師の富田正樹さんは、公開説教の中で、「混乱や忍耐や葛藤を抱えながら、一緒に生きてゆくというのが教会なのではないでしょうか。『そういうことでは、何でもありになってしまう。それではいけないのだ』と、ことさらに一致することを求める教会、そういう風に言う牧師も、広いキリスト教会の中には一定数います。けれども、私は一致することがキリスト教会の第一目的だとは思わないんです。一致することよりも、『一致できない者が一緒にいる』ということの方が、はるかに大事です。そもそも、人間がお互いに完全に一致できるというのは、幻想じゃないでしょうか。」と述べています。本コラム著者は、教会を会社(あるいは保育園)と読み替えたいなと思います。なかなか一致はできないのだけれど、一致できない者が一緒にいる状態をよしとすることが、実は真の平和なのかもしれません。

 子どもは互いに無関心でも、お当番活動で一緒になったりするときは、肩をつけあっていられるのが素敵ですね。我々大人は、どうでしょうか。社会でちょくちょく話題になるこんな言葉、耳にしたことはありませんか?「同調圧力、自粛警察、優生思想、パワハラ、かわいがり」等々...。これらは、エンパシーが欠如し、シンパシーに引きずられてしまっている結果なのかもしれません。「大変だけど、混乱や忍耐や葛藤を抱えながら、一緒に生きてゆけたらいいなあ」

2021年9月1日水曜日

2021/09/01(水) 子どものための保育時間とは

 OECD(経済協力開発機構)は、ヨーロッパ諸国を中心に、日・米を含めた37の先進国が加盟する国際機関です。そのOECDが、日本と海外の保育時間について、データを出してきました。それによると、OECDとEU(欧州連合)各国の保育利用時間は、平均週30時間ということでした。ということは、週に5日保育を利用するのであれば、1日あたり6時間の保育になります。

 日本とラトヴィアという国の保育時間は、平均週40時間ということで、とびぬけて長いという見解が掲載されていました。このとびぬけて長いということも、日本にいると分かりにくい感覚ですね。

 さくらそう保育園元郷の場合は、平均週40時間くらいで、日本の平均といえます。個別に見ると、週30時間の方もいらっしゃる一方で、朝早くから夕方遅くまで利用される方もいらっしゃいます。「本当は、もっと子どもと過ごす時間をつくりたいのだけれど、会社の都合なので仕方がない」というのが実情のようです。

 心理学博士で保育の安全研究・教育センターのKI先生は、「そこまで子どもを長時間預けなければならない、大人都合の働き方システムでいいのか?」、「認可保育園に入園できたら、保育料はほぼ定額または無償なのだから、使えるだけ使わないと損というシステムでいいのか?」と提言をしています。そして「子どもにとって良いシステムを取り入れることこそ、日本の未来にとって良いことになるのではないか?」と結んでいます。「保育園としては、しかたがないでいいのか?」と、私たち保育園側にも問題提起をされています。

 日本の長時間保育は、日本の長時間勤務に対応し、女性の社会進出を支えてきました。だからこそ、保育園は発展したのでしょうし、現状のシステムでの運営も、一応できているように見えます。でも、このシステムは、あくまでも大人都合のものです。果たして、これで子どもたちは幸せになるのでしょうか?

 大切なことを書きたいと思います。母親と子どもの結びつきは、その子どもにとって最も大切で重要で必要なことで、子どもには、「私だけに愛情を注いでくれる母なる存在」が欠かせません。残念なことですが、保育士では母親の代わりにはなれません。

 子どものためには、週40時間の保育時間というのは多いのかもしれません。欧米のように、30時間くらいが適切なのかもしれません。でも、それが叶わない日本です。それでも、保育園にいる間も、子どもたちの不安が少しでも解消されて楽しく過ごせるように、保育スタッフたちは、日々努力奮闘しています。例えば、夕方になるとだんだん寂しくなってきて、抱っこを求めてくる乳児に対して、保育スタッフは抱きかかえることで応えています。大人ひとりに子どもひとり、1対1にならざるを得ないのですが、18時過ぎまでフル回転です。

 現在、社会で議論されている働き方改革は、大人のためだけではなく、子どもたちのためでもあるはずです。大人も子どもも、もっと家族で過ごす時間が増えるように、政府が動いてくれることを切に願います。具体的には、「就学前の子どもを持つ母親の勤務時間の制限と、それにより水準を下回った場合の所得の保障」ですね。

2021年8月1日日曜日

2021/08/01(日) 保育園の価値

 先日、コロナウイルスをテーマにした、とある保育研修に参加しました。どちらかというとべらんめえ口調で、大変面白かったのですが、そのままの形で載せるわけにはいきませんので、先生の趣旨を私の言葉で翻訳して、発言形式で紹介しますね。

 「コロナ禍の今、大人の世界では、濃厚接触を避けることが当たり前の世の中になっています。しかし、『10歳以下の子どもが、コロナウイルスで重症化したり亡くなったりする事例は、世界中探しても無い』ということは、注目に値します。一方、子どもと子どもが、肩寄せ合って濃厚接触をする中で、集団生活を営むことこそ、保育園の価値だといえるのではないかと思うのです。保育園とは、『濃厚接触を前提とした集団生活の場』であり、濃厚接触は子どもにとって価値あることなんです。」

 「それなのに、濃厚接触を防ぐ対策として、互いに向かい合わないように座って食事をしたり、午睡時には布団と布団の間をできる限り離したり、パーテーションを設けて飛沫を防いだり、といったことを行っていませんか?それらは全く意味がなく、間違いでしかありません。なぜなら、その規制の時が過ぎた次の瞬間、子どもたちは頭と頭を突き合わせ、手と手を取り合ってコミュニケーションを始めるからです。子どもたちのコミュニケーションを止めてはなりません。それは、子どもにとって価値あることだからです。」

 「そもそも、コロナウイルスというものは『タバコの煙のようなもの』で、空気感染によってうつるものです。対面を避けたから、少々距離をとったから、パーテーションをしたから、といったことで、タバコ臭い空気から逃れることができますか?できないでしょう。コロナウイルス感染の正しい対処法は、換気(空気の入れ替え)です。そして、手を清潔にすること、あとワクチン接種、これに尽きます。」

 「繰り返しになりますが、保育園でむやみに濃厚接触を防ぐ対策をとるということは、子ども同士の濃厚接触を否定することにつながりかねません。それは、保育園の価値を否定することに他ならないことを認識すべきと思います。『濃厚接触を避けることはできません』と、保護者にきちんと表明しておくことが、保育園としての責任ではないかと思います。」

 以上、講義の一部分の紹介でした。講義というよりも、抗議に近かったですね。ここからは、私の表明です。今まで世論や役所等の指導に寄り添おうとしたことは、無意味なことに神経を使ってきたと言い換えることができるような気がしています。濃厚接触は、子どもにとって価値あることなのです。さくらそう保育園では、濃厚接触を避けることはできません。保護者の皆さま、趣旨をご理解の上、ご理解・ご協力のほど、お願い申し上げます。

2021年7月1日木曜日

2021/07/01(木) つぶやきの面白さ

 「2階のトイレから水漏れがする」という情報を受け、私は翌日の朝早く、そのトイレを点検しました。どうやらネジの締め付けが甘いようで、パッキン付近から水が沁み出ています。太い水道管の太いネジを回す工具は手持ちに無く、とりあえず力任せにネジを素手で締めていると、朝早くから登園してきて、その様子を心配そうに見つめていたHちゃんが一言...

「おトイレ・・・きげんわるいの?」

 トイレの調子が悪いとは言いますが、機嫌が悪いとは、なんて素敵な表現なのでしょう!まるで、トイレに人格があるようです。人格があるからこそ、機嫌が悪いこともあるよね。トイレにも、尊厳の気持ちをもって接してあげましょう。「トイレの神さま」という歌もありますしね...。そんなことを連想させてくれました。

 朝、保育室に入る前に、必ずスタッフルーム(職員室)に寄って、私やままさんに甘えてから、保育室での生活に入ることをルーティーンにしているお子さんが何名かいます。(必ず寄って甘えることで、心を落ち着かせられる場があるという意味では、スタッフルームも結構役に立っているようです。)そんなお子さんのひとり、Yちゃんが、ある朝、自分の右足の薬指と小指の間を気にして、ボリボリと掻いています。見ると、皮膚の皮が一部分剥がれているのです。すると、Yちゃんは、皮膚の剥がれたところを私に見せながら...

「ねえ、ぱぱさん」
「何?」と私、真顔のYちゃんは、
「Yねえ、おとなになってきたみたい」
 そしてかすかに笑いました。

 たぶん、Yちゃんのお家では、大人の誰かが同じようになっていて、それを掻いているのを見ているので、今度は自分が同じ状況になった時に、思わず出てきたセリフなのでしょうね。大人になるってことは、パッと何か見えないものが見えてくるとか、出来ないものが出来るようになるといった、右肩上がりの出来事だけでなく、見えないけどやるしかないとか、割り切れないけど受け入れるしかないといった、言わば右肩下がりの側面もありますよね。そのようなほろ苦いことでも、よしとしようといった意思は、正に大人なのではないかと思いますが、Yちゃんは自分の身に起きた現実を、迷いの中で受け入れるという「大人の境地」を垣間見たのでしょうか。いずれにせよ、「大人になるって、どういうこと?」という、若人なら誰でも悩む命題に対して、非常にユニークな切り口で、鮮やかに真実を表現してくれたYちゃんに脱帽です。(ちなみに、後日受診したところ、単なる皮膚炎だったということが判明しました。ミ○ム○じゃなくて、良かったね。)


 保育園って、こんなに面白いところなんですよ!

2021年6月1日火曜日

2021/06/01(火) タポンタポン

  この写真をご覧ください。子ども広場での一コマで、バケツの中に泥を入るだけ入れて、その感触を楽しんでいる、つぼみ組(4歳クラス)のお子さんの姿です。


 泥遊び、家庭では、なかなか体験できない遊びですね。写真からも、その楽しさが良く伝わってきます。右側に写っている女の子は、バケツの中の泥を、その可愛らしい掌で、優しく撫でるような叩き方をしながら、こんなことを呟いたのでした。

 「パパのおなかみたい・・・」まるで、本当のパパのお腹を触るような手つきが印象的でした。バケツの上に表面張力で盛り上がっている泥は、彼女が叩くたびにタポンタポンと震えました。水と泥の調合が絶妙なのか、タポンタポンはけっして決壊せず、本物のお腹、それもちょっと太めのお父さんのお腹そのもののように、私にも思われたのでした。真に「言い得て妙」でした。

 泥とお腹に共通することがあることを発見した、彼女の感性が素敵です。この感性は、「謎かけ」という日本古来の知的な遊びに通じるものがあると思うのです。

 どろんこ遊びとかけて、お父さんのお腹と説く。その心は、どちらも叩くと「タポンタポン」

 「まったく異質な二つのものの中に存在する同質を見抜く力」は、とても高度な能力で、素敵なことだと思います。こんなことも、遊びの中で手に入れていくのですね。「遊び」を大切なものととらえて、「遊びこめる」環境づくりを考え、整えていきたいと思います。

2021年5月1日土曜日

2021/05/01(土) 年長さん

 さくらそう保育園元郷は、開園3年目の保育園です。本年度から、念願の年長さんが在籍するようになりました。年長さんたちはとても活発で、園内外を動き回って楽しそうです。何と、ハッピールームの中であれば、お子さまは自前の縄跳びを使って園舎の中でも遊ぶことが許されています。もちろん、園庭(こども広場)にも戸外用の共用子ども縄跳びが倉庫の中に何本かあり、そこでも跳んでいます。

 さて、2021年4月中旬現在、回数にして50回から60回くらいは、一人で「連続跳び」ができるようになってきました。他にも、3~4人が心と体を合わせて一緒に飛ぶ「大繩跳び」や、縄の一回転につき一人が引っかからないようにくぐり、それを複数人で連続して行う「大繩くぐり」など、いろいろな遊び方を楽しむことができるようになってきました。

 ある時、こども広場で縄跳び遊びが楽しく展開していくなかで、縄跳びの数が足りなくなりました。年長のHちゃんは、「(こども広場の中で)もっとたくさんのみんなで(一人跳びを)やりたい」といいました。私は、「うう~む こども広場には、あんまり縄跳びがないんだよね」。考え込むHちゃんと周りの数名のお子さんたち、本当に困った感じでした。

 そこで、私はこんな提案をもちかけてみました。「みんながハッピールームで遊んでいる縄跳びをこども広場にもってきたら遊べるんじゃない?」すると、保育士のなおさんは、「外で遊んだら縄跳びは汚れてしまうから、(園内の)ハッピールームでは遊べなくなっちゃうよ。」と言いました。もっともな話ですね。でも、みんなの気落ちを即座に察知したなおさんは、「外でも遊びたいねえ~、何か方法はないかなあ?」みんなは、しばしの間沈黙していました。

 そこで私はもうひとつ、こんな提案をしてみました。「汚れてもいいお友だちは、子ども広場で使う。汚れたらいやなお友だちは、ハッピールームで使う、それから次が大事、『汚れてもいいお友だち』がハッピールームで使いたくなったら、『汚れたらいやなお友だち』に縄跳びを借りる。反対に『汚れたらいやなお友だち』が子ども広場で使いたくなったら、『汚れてもいいお友だち』に縄跳びを借りる。そうすれば、ハッピールームでも子ども広場でも使えるよ!・・・どう?」(読者の皆さま、ついてきてますでしょうか?)

 結構難しい話をしてしまったという反省が私の頭をよぎりましたが、間髪入れずに明るい声で「さんせい」と言いながら手を上げるHちゃんと隣のYちゃんの姿があったのでした。その後、HちゃんはYちゃんに「ハッピールームでは(縄跳び)かしてね」、YちゃんはHちゃんに「いいよ」。そして、二人は互いに向かい合い、両手を握りしめて喜びを共有していました。趣旨をきちんと理解していることがはっきり分かり、私となおさんは顔を見合わせて喜びました。

 言い方を変えると、大人はお子さんたちに対して、「二者択一」という選択肢をとるのか、それとも「共有・シェア」という選択肢をとるのか?と、迫っているわけです。「共有・シェア」を選ぶということは、一見すると損を選ぶように見えますが、実は最高のお得を選んでいるともいえるのですね。一言でいえば「損して得する」。その趣旨を理解して、自ら後者を選ぶ力に、大きな育ちを感じたのでした。もう少し深掘りしますね。「形而上(けいじじょう)」という言葉がありますが、これは、正義・愛・永遠・公平・平等、これらの理念や概念を意味しています。その中で、二者択一や共有・シェアといった概念は、「公平・平等」に相当するものですね。

年長さんは頭いいね。もう形而上のお話しができるなんて。

2021年4月1日木曜日

2021/04/01(木) 家事を一緒にすること

   あの有名な開成中学校・高等学校の元校長・柳沢幸雄さんのコラムが、2021/2/22の朝日新聞に載っていました。「時代は、親の時とは大きく変わっています。・・・子どもたちに考えてほしいのは、自分の手に職をつけることです。技術革新がどんどん進んで、日本経済が今以上に衰退しても生き残れる何か、好きなことに関連する職を、柔軟な発想で見つけてほしいのです。」柳沢さんは、好きなことに関連する職を柔軟な発想で見つける例として、なんと東大卒クイズ王の伊沢拓司さんをあげています。彼はクイズを職業にしたというのです。なんて柔軟な発想なのでしょう。他の人に無い何かを見つけたのですね。

 柳沢さんはこんな話しもされています。「親は、幼少期から、様々なえさをまいてやるといい。それは、習い事を増やすということではなく、例えば、家事を一緒にするということだ。家事を一緒にするなかで、『なぜ?』ということを体験・解決していくこと、例として、普通のゆで卵は白身から固まっていくのに、温泉卵はなぜ黄身から固まっていくのか?・・・洗剤には、なぜこんなに種類の違いがあるのか?・・・等々、身近な中の『なぜ?』を放置せずに、じっくりと答えを見つけていくといい。」

 柳沢さんは、教育を「なんらかの型にはめること」だとは考えてないようです。生徒がみずから自由に考え、実行することを推奨しています。教師の役割は、子どもに内在しているものを、一人ひとりにとってほどよいスピードで引っぱり出すこと、とも述べています。この考え方は、自由遊びを中心とする保育、すなわち、子どもみずからが考え、実行し、結果として得たことを基に再考察をして、次なる行動を起こす。そんなことを期待しながら、じっくり待つ保育と通じるところがあるように思います。さて、遊び中心のさくらそう保育園のお子さまは、将来、どんな職業につくのでしょうか?楽しみでなりません。

 それにしても、家事を一緒にすることが、変わっていく時代の中で、自分らしく食べていける人間にすることにつながっている・・・・これはいいことを学びましたね。

2021/04/01(木) 入園式あいさつ

  2021年4月1日、新入園のお子さま方、入園おめでとうございます。保護者の皆さま、ご入園おめでとうございます。今日からワクワクドキドキの保育園生活が始まりました。
 さて、お子さまの次のようなご様子を目の前にして、保護者の皆さまはどのようにお感じになられるでしょうか?もしも次のように喜んでいただけるのならば、楽しく幸せな保育園生活を送ることができるはずです。

保育園嫌がる ⇔ お母さんお父さんが大好きな証拠。
保育園に慣れるのに時間がかかる ⇔ 慎重という賜物をもつ、身を守る術を本能的に備えている。
すぐ泣く ⇔ ストレス物質を涙という具体的な形で放出して、すっきりしている。弱そうに見えて、実はストレスに強い、感情が豊かな子。
怒りっぽい ⇔ 自分で考えて行動したいという、豊かな心の持ち主。笑顔もいいはず。
擦りむいた ⇔ 大きなケガを防ぐための貴重な学び。
友達と遊ばない、独りで遊ぼうとする ⇔ 将来、自殺しない人になるための大切な行動。
噛んだ ⇔ 言葉が出る直前の発達段階まで育った証拠。本当の言葉が出てきて、噛みつきが無くなる喜びは近い。
噛まれた ⇔ 表面的には、ちょっかいを出すことが多いために噛まれてしまうが、実は一緒に仲良く遊びたいという気持ちが強く、そのことを上手に表現できない状態。言葉でコミュニケーションがとれるようになると、突然消えるもの。
ムシ刺され ⇔ 戸外で子どもらしく遊んだ証。
衣服の汚れ ⇔ 水や土や虫や花と触れ合った、絵画や工作を楽しんだ、楽しかったということ。

 幸せって、その人の心のありようで決まるのですね。保護者の皆さま一人ひとりが、保育園の生活の中で育っていって、ゆるぎない幸せな心をつかんでいただきたいと思います。
 そのためには、どんな小さなことでも、保育スタッフにご相談いただくのが近道だと思います。相談窓口としては、次のように整えています。

1階の相談窓口は、ひとみさん
2階の相談窓口は、つめさん
3階の相談窓口は、なおさん
そして、総合相談窓口として、ままさん。

相談窓口は、園長のすずさん

相談窓口は、園長のうめさんと主任のひろみさん

 本日は、ご入園まことにおめでとうございます。

2021年3月1日月曜日

2021/03/01(月) ゆがみ 逆手にとるとは

  今回は、2021年2月2日(火)の朝日新聞夕刊の記事からお話を始めます。(こともあろうに新聞を濡らしてしまい、しわだらけになってしまいました。すみません)さて、この作品は「雲錦大鉢」という名前で、作者はかの有名な、北大路魯山人先生。現在、世田谷美術館に所蔵されているそうです。


 紅葉の図柄が美しい器ですが、よく見ると器の左右の端に、欠けた部分を補修した跡がありますね。それだけでなく、なんと器そのものがとても大きくゆがんでいます。とんでもない器ですね。しかしながら、欠けたりゆがんだりといった、いわゆる「失敗作」に対して魯山人は面白がったのですね。価値を見つけたのです。大胆な発想で逆に生かしたのです。欠けは「金継ぎ」という手法で見事修正し、良いアクセントとしました。ゆがみによって生まれた面に、ゆがみがなければ描くことができない、堂々とした幹を描き、華々しく紅葉を散らし、作品の価値を一気に高めることに成功したのです。

 欠けやゆがみを逆手に取り、良いもの、美しいもの、として価値を見出す。これは私たち人間の「いかに生きるか」という問いに対するひとつの答えなのかもしれません。もしかしたら魯山人から見て、彼の周りの人々について、どの人も「欠けやゆがみ」だらけに見えたのではないかと想像してみます。で、そんな「欠けやゆがみ」も、活かして用いることができたら、価値のある作品ができる、すなわち、「欠けやゆがみ」も、活かして用いることができたら価値のある人生を歩むことができるかもしれませんよと、魯山人は悟ってこの作品を作ったと考えたら楽しいですね。

 例えば、私自身についても「書きもの」だけの出会いの方ならば、とても立派そうにお感じになられるかもしれませんが、実際に会うと、「しどろもどろで頼りないくせに空気が読めずに自分勝手、、、」そんなタイプの人間ということがよくわかると思います。でも、園長をはじめとして、スタッフの皆さまのおかげで、恐れ多くもこうして何とかこの席に座らせていただいているわけで、みなさん本当にありがとうございます。(申し訳ありませんがもう少し我慢していてくださいね)

 毎日たくさんのお子さまと過ごしている日々ですが、お子さまの表の姿だけでなく、時に裏を見せる姿についても「面白い!」と感じる心があればいいなと思います。コロナ禍、人の心は過敏になり傷つけあうことが多くなることが想像されますが、そんな時、魯山人の心に思いをはせることができたらいいなと思います。「あれ!濡れた新聞のしわこそが、むしろ作品をより引き立てていて、美しい・・・」

 2020年度、元郷園、東領家園、朝日園をご利用いただきましてありがとうございました。

2021年2月17日水曜日

2021/02/17(水) 配信音楽会へご招待


 こちらの写真に写っている方々は、東京都文京区本駒込4丁目にある「戸澤ヴァイオリン教室」の主催者、ヴァイオリニストの戸澤典子さんとプロ演奏家の皆さん2名、並びに可愛らしい生徒さん2名です。

 ぱぱさんとままさんは、川口市でさくらそう保育園を始める前、文京区の幼稚園で長年働いていたのでした。ある年の4月に3才児さんクラスに入園してきた園児さんが戸澤采紀さんでした。(・・・脱線お許しください。その采紀さんは、幼稚園在園中からヴァイオリンに親しみ、その後本格的に学び、中学3年生で学生音楽コンクールを制した翌年、なんと日本音楽コンクールでも史上最少で優勝し、名実ともに日本一になりました。現在、東京藝大在学中で、コロナさえ無ければ今頃はドイツのベルリンに留学中でした・・・)そして、采紀さんの保護者が、戸澤典子さんだったのでした。元来、音楽好きなぱぱさんままさんと典子さんは、すぐに意気投合したのでした。

 それから年月が過ぎ、さくらそう保育園を立ち上げた後、ある時、典子さんから連絡が入ったのです。「川口市でコンサートができるような環境が整うようだったら、ぜひ演奏させていただきたいのですが・・・」そのご要望にお応えする形で、2016年から毎年1回のペースで室内楽の音楽会を行っています。

 そして、今回は第6回目です。(なんと過去5回のアーカイブを視聴できます。【こちら】をクリック)ピアノはもちろんステキですが、普段親しむことが少ないヴァイオリンやチェロといった弦楽器は、感動もひとしおです。大人向けの作品のみならず、お子さま向けの作品も演奏していますので、老若男女楽しめると思います。今回は、演奏者の意向で1か月限定の配信となりましたので、この機会にご視聴いただけましたら幸いです。

 川口市保育連絡協議会 令和2年度 研修(音楽会)
 「戸澤ヴァイオリン教室」

 生演奏なら、さらに美しいのですが、コロナ禍につき、配信での演奏となりました。来年は生で楽しめますように。さくらそう保育園が、川口市にあって「芸術の発信地」として機能することができたらと願っています。

 最後に、「戸澤ヴァイオリン教室」に興味がある方はこちらからどうぞ。
  e-mail: vzm05441@gmail.com

2021年2月1日月曜日

2021/02/01(月) 歌あれこれ

 2月になりました。少ない日数ですが、充実した活動となるよう取り組んでまいります。

 今、元郷園3階のお友だちの間で流行っている歌&流行らせたい歌を紹介します。

(1) 紅蓮華(Risa)
(2) Make You Happy(NiziU)
(3) ぼよよん行進曲(坂田おさむ)
(4) ありがとうの花(坂田おさむ)
(5) 変なおじさん(志村けん)など、、、

 さて、では順を追って・・・

 (1)は、子どもたちからのリクエストで、言わずもがな、2020年末に大流行した「鬼滅の刃」からのナンバーです。一時期、歌だけでなく剣や口にくわえるアイテムの製作や、鬼滅の刃の役になり切っての集団ごっこあそびがとても盛んでしたね。それだけでなく、着てくるお洋服まで「鬼滅の刃」のキャラクターで、流行のパワーを見せつけられました。

 (2)も子どもたちからのリクエストで、現在ユーチューブ上でナンバー1のヒットソングです。いや~3階の女の子たち(一部の男の子たちも!)は上手に踊りながら歌っていますよ。私、NiziUの動画を何回もループして、覚えようとするのですが、いや難しいですね。Aちゃんから、「パパさんの(歌い方)、ちょっと違う」とダメ出しをいただいています。彼女の意見を要約すると、ところどころメロディが原曲と違うとのことです。ごめんねAちゃん、私は作曲が得意だから(^_-)-☆ それだけでなく、子どもたちは英語の発音も上手で、完全ネイティブ!に聞こえます。私は何回練習してもカタカナ英語です。そんな訳でOKが出る日を夢見て精進中です。ところで、おじさんの私がこの曲を必死に練習している姿は、傍目に、とってもシュールだと思います。それにしてもこの曲、C7の使い方がカッコいい・・・


 (3)と(4)は、保育園としてみんなに歌ってもらいたい歌です。どちらもとってもいい曲です。
 「ありがとうの花が咲くよ きみのまちにもホラいつか」キャッチ―な歌詞とメロディが、一度聞いただけで忘れられなくなります。気持ちよさそうに歌っている、みんなの姿が素敵です。
 「どんな たいへんなことがおきたって おしつぶされそうな そんなときだって」
 「きみのあしの そのしたには とてもとてもじょうぶな バネがついてるんだぜ」
 「ぼよよよ~んと そらへ とびあがってみよう」
 実はこの歌、大人が、涙しながら聞いたり歌ったりしているのだそうです。慰めの歌です。子どもの歌という範疇を超えて「人類の希望の歌」なのかもしれません。

 (5)は、H君のお気に入りリクエストで、いろんな歌を歌った後、最後に歌う、いわゆる締めの1曲です。こういった三枚目路線は、ユーモアの芽生えとして、とても大事だと思います。この手の曲を、「辛い人生を笑い飛ばし、明日を生きるための有用な試みの一手段」と捉えれば、素晴らしい曲になります。志村けんさんが偲ばれます。

 歌は目に見えないものです。目に見えないけれども確かにある、その筆頭ともいえます。目に見えないものも大切にしていきたいと思います。

2021年1月4日月曜日

2021/01/04(月) 弾きこみ

 2021年明けましておめでとうございます。新年を迎えましたが、新型ウイルスが益々猛威を振るっているこの頃です。マスク着用・手洗い・うがい・密の回避を心がけたいものです。

 さて、"モノ"に関して大体共通する点ですが、購入した時が最高の状態であるものがほとんどです。電化製品、服、住宅、etc...。購入した時が一番機能が高く、その後、経年によって劣化していくというものです。それに対して、木を使用している楽器などは、傷はつきますが、使い込むごとに味わいが増していくものです。

 出来の良いウクレレやギターは、買ったばかりの時は、木が細胞レベルでささくれ立っていたり、組み立て時のストレスでおさまりが悪かったり、水分が抜け切れていなかったりして、音はいまいちのことが多いものです。ところが、人の長年の弾きこみによって、少しずつ良い音に変化していくのです。10年、20年、30年の弾きこみを通して、最高の音質になっていきます。木に振動を与えてやることが大切なので、弾きこまないで保存していても音は良くなりません。弾きこみ続けてから30年ほどかけることで、ウクレレやギターは、楽器本来が持つ良い音に育つのです。

 これって、ウクレレやギターを「人」に置き換えても成り立つように思うのです。

 子どもが好きな遊びに関心を寄せて、自己実現に向かって突き進む姿は、まさに良い音になるための弾きこみと考えれられます。それだけでなく、一見マイナスとも思える、思い通りにならない場面で泣いたり怒ったりすることも、人の痛みを知り、人の痛みに寄り添う、美しい音を出すための弾きこみではないかと思います

 さらに、大人が職業を持つということも、「弾きこみ」と同意のように思います。その人が本来持つ能力を発揮できる保育士に育つには、最低でも、保育士資格を取得してから10年くらいの経験は必要なのではないかと個人的には考えます。そして、本当にその保育士の持ち味が出るのは、50歳を過ぎてからというようにも感じています。

 ウクレレやギターであれば「劣化」ではなく「変化」であり、人であれば「老化」ではなく「深化」であると考えたいと思います。深化するということは、保育の中で枠にとらわれない子どもに対して、「まっ、いいか」と悟る心を得ることだと思います。

 2021年も、川口市の保育の一助として、その役割を果たしていけたらと思います。今年もよろしくお願いします。