2022年8月1日月曜日

2022/08/01(月) カブトムシとアゲハチョウ (ぱぱさん)

[カブトムシ]

 カブトムシのシーズンがやってきました。元後園でも、7匹の成虫を入手でき、お子たちは、今年もフィーバー(古い)しています。


 今年のお子たちとカブトムシの出会いも、最初は「戦々恐々」とした空気で、ピリピリと張りつめた感じでした。恐れおののきながらも、カブトムシの短い角を持ち、自らの手で持ち上げることで、所持する満足感を味わっています。ところが、角の持ち方が不完全なので、しょっちゅう虫を手から地面に落としてしまい、とてもかわいそうです。また、短い角を持たれて、空中に持ち上げられたカブトムシは、もがこうとして6本の足をバタバタと動かしますので、何かの拍子に、お子の手にしがみついてしまうということが、頻繁に起こります。そんな時、無理やりはがそうとすると、逆にカブトムシの足先にある爪が人の手にくい込んで、その痛さと言ったら、経験した者にしか味わうことのできない不快なものなのです。それでも、性懲りも無く、次の日もカブトムシとの出会いを心待ちにして、痛い思いを重ねていくのでした。

 ところが、出会いから3~4日すると、変化が起こってくるのですね。Sちゃんが、両手の掌でお皿の形を作り、その真ん中にカブトムシを優しく誘導すると、カブトムシは、手の中で大人しくして、動かなくなることに気づきました。「こうすれば、あばれない」、その発見が、周りのお友だちにも伝わっていきます。実は、カブトムシを手で包むように抱えると、足や腹が地に着いていると思って安心して、本当に大人しくなるものなのですね。(これは、カブトムシだけではなく、生き物全般にいえることなのかもしれません。)

 そのことを発見したお子たちは、さっそく応用し始めるのでした。「優しく、そおっと(この「そおっと」が大事!)洋服につけると、カブトムシは、案外、大人しい。」Y君は、自分の着ている服に、複数のカブトムシをつけて、悦に入っています。もしも、カブトムシが思わぬ方向に動いた時は、カブトムシの頭の方からお腹の方に優しく手を入れると、自然にその手に移ってくる。引っ張って動かすより、痛くないことも、経験を通して学んできました。


 トライ&エラーを繰り返す中で、子どもなりに考え、望ましい触れ合い方を見つけ出していく過程は、真に学びの実践ですね。さて一方、カブトムシには、一向に関心を示さず、ひたすら腐葉マットをほじくり出すことに生きがいを感じている、そこの○○ちゃん、ここは外ではなく、スタッフルームなのだよ。そんなにまき散らして・・・。勘弁してくれぇ~。

[アゲハチョウ]


 6月2日(木)の登園前に、ミカンの葉っぱをたくさん食べていたアゲハチョウの幼虫が、サナギになりました。さくらそうの2~3歳の園児たちにとって、今まで動き回っていた幼虫が、急にサナギになって動かなくなったのですから、予想外の事態といえましょう。「動かなくなっちゃったね」、「死んじゃったの?」、お子たちは、それぞれ呟きます。そこで、私は、「もう少し待つと、アゲハチョウになって出てくるよ。」、「ふ~ん」とお子たち。この「もう少し」と言う表現は、ちょっと抽象的ですね。案の定、その日のお昼ごろ、ある子がやってきて、「ちょうちょになった?」、「あと10日くらいかなあ」と私。

 次の日の朝、登園するなり、はっぱ組(3歳クラス)のMちゃんは、未だサナギのままの姿を見て、こういう表現をしました。

 「ちょうちょ、なんで、まだ、さかないの?(咲かないの?)」

 子どもって、時々、こういう大人では思いつかない表現をするんですね。Mちゃんの言葉を聞いた私は、改めてサナギを眺めました。何かの花のつぼみの様にも、見えるではありませんか。成蝶の姿は、真に花ですね。百合かなぁ。蝶は孵(かえ)るのではなく、咲くんですね。なんて詩的で、素敵な表現なのでしょう。



 6月14日(火)8:15頃、サナギという、つぼみから、蝶という花が咲きました。しわしわの体がピンと乾くまでの、およそ半日、お子たちは、花と心を通わせていました。いよいよ、戸外に放つ時が来ました。年中・年長児のお子たちの、花への激励の言葉は、同じ時を共に過ごした連帯感を感じさせるもので、実に優しく、実に愛がこもっていました。