2022年12月1日木曜日

2022/12/01(木) 昆虫観察を趣味にする (ぱぱさん)

 今朝、子どもたちに福音館書店の「新版かまきり(得田之久 文絵)」を読み聞かせました。輝く目で食い入るように見つめる、子どもたちの姿がありました。さて、得田先生のあとがきに興味を惹かれましたので、冒頭のところを書き出してみます。

 「カマキリのことを『公園の草むらに棲む小ライオン』と例えた研究者がいましたが、一度でもこの虫が狩りをする姿を目撃した人は、納得するでしょう。草むらに咲く花にとまった美しいチョウを見つめていると、花影からカマキリがチョウを狙っているのを見つけて、ギョッとすることがあります。息を殺して見ていると、カマキリはじわじわとチョウに忍び寄り、捕獲体制が整うと、一呼吸おいて、素早く折りたたんだ前足を突き出して捕まえます。この光景は、まさにテレビや映画で見かける、アフリカの大草原で狩りをするライオンの姿と同じです。カマキリを見ていると、『昆虫は、わたしたちの生活圏のすぐそばにいる野生の動物だ』ということを、つくづく思い知らされます。まだ野生をたっぷり残した小さな子どもたちが昆虫を大好きなのは、野生の血が引き合うからだと思います。(以下略)」

 素敵な文章だなと思いました。「捕獲体制が整うと、一呼吸おいて~」、この「一呼吸おいて」とは、熟練した観察者でなければ発見できないことだと思います。「まだ野生をたっぷり残した小さな子どもたちが昆虫を大好きなのは、野生の血が引き合う~」、道理で、絵本を見つめるお子さまたちの目に、まぎれもない「野生」が宿っているわけです。

 人間の「野生の血」は、大人になると影を潜めるだけで、残念ながら無くなるわけではないのですね。その証拠に、国と国とが争う状況になると...。周知の通りですから、悲しいことです。

 「野生の血」が濃い人は、そのことを自覚して、昆虫観察を趣味にすることで、自己コントロールをすればいいのではないかと思います。アフリカの大草原で、シマウマやバッファローやヌーを狩るライオンを想像しながら、その辺の原っぱで、チョウを捕まえるカマキリを見て、己の中の「野生の血」を活性化させてスッキリし、みんなで仲良くやっていきましょう。

2022年11月1日火曜日

2022/11/01(火) テストも校則もない自由教育 (ぱぱさん)


 2022年10月15日(土)の朝日新聞の記事から、「堀真一郎さん」を取り上げます。まずは、先生のお話からご紹介しましょう。

 「この学校は、いろんなものが“ない”ことが特徴です。『先生』と呼ばれる人がいない。学年がない。宿題もテストも通常の通知表もない。チャイムも鳴らない。校長はいるけど校長室はない。廊下もない。“ない”ものはまだまだあります。入学式や卒業式など、堅苦しい儀式もありません。子どもを叱る声も、ここでは聞こえてこない。こういうと、たいていの人は驚いて“いったい何があるのですか”と尋ねてきます」

 「いったい何があるのかというと、答えは決まっています。“楽しいことがいっぱいあります”。学校を覗いてもらえればわかります。みんな、笑顔でしょ? この学校は、子どもたちの笑い声で満ちています。子どもの発見と成長があります。“学校は楽しくなければならない”。そう思って仲間と作ったのが、この学校なんです」

 「教職員は大勢います。でも、『先生』でなく、『大人』と名付けています。それぞれ子どもたちからは、さん付けやニックネームで呼ばれています。私も『堀さん』です。『先生』の呼称を廃止したのは、大人と子どもの心理的な壁を取り払いたかったから。先生の指示を待つだけの子にしたくなかった。だって先生だからってエライわけじゃないですよね? 権威も必要ありません。教えるのではなく、子どもと一緒に、悩み、考えればいい」

 「この学校は、いわゆる算数や国語といった教科の名が時間割にありません。その代わり、『プロジェクト』という名の体験学習が中心を占めます。プロジェクトは縦割りで、衣・食・住・表現の4つの視点から“生きること”を考え、追求していきます。プロジェクトとしては、工務店、ファーム、料理、ものづくり、劇団など、縦割りのプロジェクトがあって、子どもたちは希望するところに所属し、やる内容も自分たちで決めます。例えば、料理プロジェクトチームの話し合いで、蕎麦が年間テーマに決まったとします。子どもたちは、蕎麦について調べ、実際に種から育て始めます。近所の蕎麦屋に取材に行ったり、蕎麦粉と水の量を計算したり。そこには、国語や算数、理科や社会など、あらゆる基本教科のエッセンスが詰まっています。正解のあるドリルと違って、自分の頭で考えないと前に進みません。プロジェクトを担当する大人も、専門家ではありませんので、よく失敗しています(笑)。でも大人も失敗する、というのも子どもにとっては良い経験になります」

 「なぜこのような学校を作ろうとしたかいうと、以前、大阪市立大学で教えていたのですが、その時、小学生に大規模な調査をしました。“学校で一番楽しいことは何か”という質問に対し、“授業”と答えた子がどのくらいいたと思います? 多い学校でたった5%でした。少ない学校ではわずか2%。少なくとも3割が“授業が楽しい”と思ってほしい。でも、そんな学校がないなら作るしかない。そう決意して作った学校が、きのくに子どもの村です。」

 「子どもは好奇心旺盛で、大人の思うようにならないのが当たり前なのに、先生は、よい子であることを強いて、外れると叱咤する。子どもは、親や先生のいうことを聞くと評価されるので、自己決定しなくなってしまう。今の子どもを海辺に連れて行って “好きなことして遊ぼう” と言うと、“遊び方がわからない” と返ってくるのです。個性が発揮されるのも、自己決定の機会があるのも、『体験』です。言い方を替えると、自己決定、個性化、体験学習という3つの柱を原則にすれば、子どもたちがイキイキとした楽しい学校になります。これが、私たちがやろうとしている学校です。」

 「学力はつくのかと心配する向きもあります。が、卒業生を追跡調査したところ、本校の子たちは総じて高校進学後の成績が良かった。大学進学率も高かった。考える力が身についているからでしょう」

(以上、堀真一郎さんのお話の引用元は、月刊誌『サライ』2022年8月号からでした)

 このような、子ども主体の学校があるのですね。さくらそう保育園でも、保育士を先生とは呼んでいなくて、スタッフと言う表記をしつつ、子どもたちには「大人」と言っています。そして、互いに呼び合う時は、老若男女問わず、「○○さん」と呼び合っています。教えるというよりも、子どもたちと一緒に、悩み、考える日々です。さくらそう保育園は、子どもたちの笑い声で満ちています。そんなこんなで、日々、子どもの主体的な活動(自由遊び)を支えています。「きのくに子どもの村」と考え方が似ているような気がして、とても嬉しく思いました。

2022年10月5日水曜日

2022/10/05(水) 話す力、聞く力等 (ぱぱさん)

 2歳児クラスのKちゃんが、ニコニコしながらも怒っているご様子です。何か言いたげだったので話を聞いてみると、「くるくるぼう、かってになくなっちゃったぁ~、もうプンプン!!」どうやら、自分で広告紙を丸めて作った棒が、見当たらなくなったことを怒っているようです。

 無くなったことは、恐らくKちゃん自身の不注意、管理不足だと思われましたが、そのことを「くるくるぼう自身」に見事責任転嫁して、「無くなるくるくるぼうが100%悪い!」というニュアンスで話してくるKちゃんの姿が興味深かったです。「自分が悪かったかもしれない」という視点はゼロなのです。

 小さなお子さまは、自分のことで精いっぱいで、「もしかしたら、自分にも落ち度があるかも」なんて考えることはできませんね。ですが、年齢を重ねてくると、逆に「全て自分に責任がある」と落ち込んでしまう方々がいらっしゃるようです。そんな世の中の「自己嫌悪」で悩んでいる老若男女の皆さまには、朗報になるように思いました。Kちゃんのように「自分には落ち度がない」と考えれば、心が折れることはないでしょう。Kちゃんの「話す力」は、日々、力をつけてきているようです。

 3階の4~5歳児は、お友だちの前に立って、「自分が興味あること、今、自分が考えていること」を口頭で発表するのが大好きなようです。とにかく、自分の話をみんなに聞いてもらいたいのですね。先月、お引っ越ししたK君は、恐竜博士さながらで、「三畳紀からジュラ紀、白亜紀にかけての恐竜の進化の過程をお友だちに発表し、白亜紀末に巨大隕石が地球に衝突し、恐竜が絶滅したことを強調していました。後日、K君自身に聞いてみると、彼は恐竜出現以前のデボン紀に魅力を感じているとのことでした。すごいですね。保育園の蔵書である小学館の図鑑NEOに刺激を受けたようです。この年齢のお子さまは、「話す力」が抜群に伸びる時期のようです。

 保育士は、「聞く力」に長けているように思います。いざこざで、こじれている、お友だち同士の関係を、お子さま一人ひとりの意見に耳を傾けて、例えそれが独りよがりの思いだったとしても、「そういう気持ちだったんだね」と共感し、周りにいる第三者の意見も取り入れつつ、極力公平に、且つ愛をもって寄り添う姿に美しさを感じます。そして、年齢を重ねると、「聞く力と謝る力」ですね。スタッフのみなさんには、いつも感心しています。ともあれ、お子さまには、「今、獲得できる能力を伸ばしていってもらえたら」と願っています。

 蛇足ですが、人間の「書く力」のピークは、約70歳くらいなのだそうです。体は衰えるけれど、「書く力」は伸びるんだって...。老人は書くしかない!

2022年9月1日木曜日

2022/09/01(木) 阿吽の呼吸 (ぱぱさん)

 2022年8月22日、朝日新聞朝刊からの記事です。7月に行われた全国学力調査(小学6年生、中学3年生)の結果、正解率の高い児童生徒に共通する、2つの傾向について書かれていました。


 一つは、「授業で課題解決に向け、自分で考えて取り組んでいたか」という質問に対し「当てはまる」と答えた児童生徒は正解率が高い傾向があるということでした。そしてもう一つは、「友達との話し合いを通じ、考えを深めたり広げたりできているか」という問いに対し「当てはまる」と答えた児童生徒は正解率が高いということでした。

 何の遊びに取り組むか自ら考え実行していく中で、お友だちや保育者との関りを通して、試行錯誤を繰り返しつつ遊びを深め広げていく「自由遊び」は、学力の獲得と密接に連携しているのではないかと思います。

 さくらそう保育園元郷の1階、0・1歳児さんは、基本、言葉少なで静かです。そして、めいめい自分の好きな遊びにひとりで没頭しています。2階の2・3歳児さんは、自己主張という方向性に於いて、ずいぶんと言葉数が増えてきます。基本的には、個人か2~3人の少人数で遊ぶことが多いようです。さて、そういった経験をたくさん積み重ねていくことにより、次のステージへと移行していきます。3階の4・5歳児さんでは、言葉はシャワーが降り注ぐように自在になります。自己主張だけではなく、時に相手の立場を考えた言動も見られるようになってきます。

 「ぱぱさん、ちょっと(セロハン)テープはってほしいんだけど...」ある時、年長の女の子が助けを求めてきました。女の子は、二つの空き箱を両手で密着させて、その部分をテープで止めたいようです。ところが、彼女が片手を空き箱から離してテープを取ろうとすると、箱のバランスが崩れてしまう、そんな状況でした。「いいよ!」私が、あさっての方向を向いているテープカッターに手を伸ばそうとした時、なんと、その子は、唯一彼女の自由になる肘の部分を使って、テープカッターの位置と向き(角度)を、私がテープを引っ張って切りやすい角度になるように、さりげなく変えてくれたのです。

 早くテープを切って貼って欲しい、そのためには、テープが切りやすくなるように、テープカッターの角度と調整した方が、効率よくテープを切ってもらえると、一瞬で考えたのでしょうか?ともあれ、相手のことを考えて、「阿吽の呼吸」で私に応えようとする彼女に、大きな育ちを感じたのでした。

 要所を私が貼ると、「あとはじぶんでやる」と彼女が言ったので、今度は、彼女がテープを切りやすい角度になるように、私がさりげなくカッターの位置と角度を変えるのでした。

 遊びの中で、考えを深めたり、それを広げたり...。そんな保育が展開されるといいなと思います。

2022年8月1日月曜日

2022/08/01(月) カブトムシとアゲハチョウ (ぱぱさん)

[カブトムシ]

 カブトムシのシーズンがやってきました。元後園でも、7匹の成虫を入手でき、お子たちは、今年もフィーバー(古い)しています。


 今年のお子たちとカブトムシの出会いも、最初は「戦々恐々」とした空気で、ピリピリと張りつめた感じでした。恐れおののきながらも、カブトムシの短い角を持ち、自らの手で持ち上げることで、所持する満足感を味わっています。ところが、角の持ち方が不完全なので、しょっちゅう虫を手から地面に落としてしまい、とてもかわいそうです。また、短い角を持たれて、空中に持ち上げられたカブトムシは、もがこうとして6本の足をバタバタと動かしますので、何かの拍子に、お子の手にしがみついてしまうということが、頻繁に起こります。そんな時、無理やりはがそうとすると、逆にカブトムシの足先にある爪が人の手にくい込んで、その痛さと言ったら、経験した者にしか味わうことのできない不快なものなのです。それでも、性懲りも無く、次の日もカブトムシとの出会いを心待ちにして、痛い思いを重ねていくのでした。

 ところが、出会いから3~4日すると、変化が起こってくるのですね。Sちゃんが、両手の掌でお皿の形を作り、その真ん中にカブトムシを優しく誘導すると、カブトムシは、手の中で大人しくして、動かなくなることに気づきました。「こうすれば、あばれない」、その発見が、周りのお友だちにも伝わっていきます。実は、カブトムシを手で包むように抱えると、足や腹が地に着いていると思って安心して、本当に大人しくなるものなのですね。(これは、カブトムシだけではなく、生き物全般にいえることなのかもしれません。)

 そのことを発見したお子たちは、さっそく応用し始めるのでした。「優しく、そおっと(この「そおっと」が大事!)洋服につけると、カブトムシは、案外、大人しい。」Y君は、自分の着ている服に、複数のカブトムシをつけて、悦に入っています。もしも、カブトムシが思わぬ方向に動いた時は、カブトムシの頭の方からお腹の方に優しく手を入れると、自然にその手に移ってくる。引っ張って動かすより、痛くないことも、経験を通して学んできました。


 トライ&エラーを繰り返す中で、子どもなりに考え、望ましい触れ合い方を見つけ出していく過程は、真に学びの実践ですね。さて一方、カブトムシには、一向に関心を示さず、ひたすら腐葉マットをほじくり出すことに生きがいを感じている、そこの○○ちゃん、ここは外ではなく、スタッフルームなのだよ。そんなにまき散らして・・・。勘弁してくれぇ~。

[アゲハチョウ]


 6月2日(木)の登園前に、ミカンの葉っぱをたくさん食べていたアゲハチョウの幼虫が、サナギになりました。さくらそうの2~3歳の園児たちにとって、今まで動き回っていた幼虫が、急にサナギになって動かなくなったのですから、予想外の事態といえましょう。「動かなくなっちゃったね」、「死んじゃったの?」、お子たちは、それぞれ呟きます。そこで、私は、「もう少し待つと、アゲハチョウになって出てくるよ。」、「ふ~ん」とお子たち。この「もう少し」と言う表現は、ちょっと抽象的ですね。案の定、その日のお昼ごろ、ある子がやってきて、「ちょうちょになった?」、「あと10日くらいかなあ」と私。

 次の日の朝、登園するなり、はっぱ組(3歳クラス)のMちゃんは、未だサナギのままの姿を見て、こういう表現をしました。

 「ちょうちょ、なんで、まだ、さかないの?(咲かないの?)」

 子どもって、時々、こういう大人では思いつかない表現をするんですね。Mちゃんの言葉を聞いた私は、改めてサナギを眺めました。何かの花のつぼみの様にも、見えるではありませんか。成蝶の姿は、真に花ですね。百合かなぁ。蝶は孵(かえ)るのではなく、咲くんですね。なんて詩的で、素敵な表現なのでしょう。



 6月14日(火)8:15頃、サナギという、つぼみから、蝶という花が咲きました。しわしわの体がピンと乾くまでの、およそ半日、お子たちは、花と心を通わせていました。いよいよ、戸外に放つ時が来ました。年中・年長児のお子たちの、花への激励の言葉は、同じ時を共に過ごした連帯感を感じさせるもので、実に優しく、実に愛がこもっていました。

2022年7月1日金曜日

2022/07/01(金) 素敵なお部屋と子どもたちの力 (すけさん)

 はじめまして、東領家園で管理者をさせていただいている、すけさんこと、西山 昂佑(にしやま こうすけ)です。
 今回は、東領家園の素敵なお部屋のお話をさせていただきたいと思います。

 この度、東領家園では、保育室を改装して、給湯室(元給食室)の一部を子どもたちが自由に遊べる小さな空間にしました。
 なんということでしょう。匠の手により、こんな素敵な窓のついたお部屋が出来たではありませんか!これはもう、子どもたちも大喜び、登園するなり「うわぁ~っ!」と歓喜の声が聞こえてくることでしょう。


 しかし、当日、声を上げたのは、我々スタッフの方でした。あれ?、あれあれ?。ちらっと見るも、何事もなかったかのような子どもたち...。「なぜ?、歓喜はどこへ?」と困惑ぎみのスタッフたち...。
 「〇〇君なら、きっと...」と話していましたが、その〇〇君も、「へー」と控えめな反応...。

 「どうして?」と考えていくうちに、ふと思いました。「そこが、入ってはいけないところだったから」ではと...。そう、そこは元給食室、子どもたちには「入らないでね」と言ってきたところだったのです。

 試しに、スタッフが入って、窓から「お~い」と声をかけてみると、「えっ?」とソワソワしだす子どもたち...。「入っていいよ」と声をかけると、恐る恐る入ってきて...。「うわぁ~!」、「窓だよ!」、「こんにちは!」と、思い描いていた反応がありました。
 そんな様子を見て、他の子どもたちも入ってきて、みんなで「おーぃ」、「ここも窓だよー」と大賑わい...。プラレールの線路を、わざわざ狭い部屋の中にお引っ越ししようとする子どももいたりと、あっという間にお気に入りのお部屋になったのでした。



 そんなお部屋のお話でしたが、私たちスタッフは、それよりも子どもたちの姿に感動しました。なんといっても、それまで「入らないでね」と言っていたことをしっかり認識して、「いいよ」と言われれば飛び込んで行くほどの魅力があるのに、入らないでいたのですから...。
 彼らは、まだ1歳か2歳...。日々の遊びの中では、クッション材を剥がしてみたり、隙間におもちゃを投げ入れてみたりと、いろいろないたずら(?)をして楽しんでいる子どもたちです。それでも、どこかに彼らなりの線引きがあり、「これはしない」と自分たちの中で判断していたのです。

 今回の改装は、我々スタッフに対して、そのことに気づかせてくれた一場面だったのです。
 そんな子どもたちの力を目の当たりにして、あらためて子どもたちの可能性の大きさを感じたのでした。

2022年6月2日木曜日

2022/06/02(木) 「ともにある」ということ (うめさん)

 保育学校時代に、「ともにある」という言葉を学びました。これは、単に「物理的にいっしょにいる」ということだけではなく、「子どもの思いに共感し、その気持ちによりそう」というところまで至ることだそうです。それまで聞いたことのない表現だったこともあって、その保育の本質をとらえた言葉が、とても印象的だったのを覚えています。

 さて、さくらそう保育園は、小さな子どもたちが、一日の大半を過ごすところです。日々の活動の中で、好きなことをして遊んだり、おいしい給食やおやつを食べたり、ぐっすりとお昼寝をしたりしています。どの活動も、お友だちやスタッフといっしょで、さまざまな関わりの中から、人としての関係を学んでいく、貴重な経験になっているんだと思います。

 そんな中で、給食やおやつ、お茶等をこぼしてしまう、Aちゃんという子がいました。自分で食べるようになったばかりの子は、上手に口に運ぶことができず、結果的にこぼれてしまうことが多くなります。また、いろいろなものに興味を持つようになった子は、食べるものや飲むものもオモチャにして、水遊びや砂遊びをするように、ご飯とおかずを混ぜてみたり、そこにお茶や味噌汁をかけてみたりします。Aちゃんは、すでに保育園で何年か過ごしてきたお姉さんだったので、われわれスタッフは、食べもので遊んでいるのだろうと考え、食べることや食べるものの大切さを伝えながら、少しでも食べられるように声をかけていました。

 ある日、そのAちゃんの補食を手伝う機会がありました。案の定、Aちゃんは、出されたせんべいとお茶で、新たな料理(?)を作り始めました。失敗はもちろん、それが遊びであっても、否定するつもりはまったくありませんでしたが、それなりに食べておかないと、家に帰るまでにおなかがすいてしまうと考え、食べてみるように声をかけてみました。しかし、結果は同じで、Aちゃんはほとんど口にしませんでした。

 その後、ふたたび補食の時間になった時に、自分が大きな間違いをおかしていたことに気づきました。前回は、補食の準備だけして、Aちゃんに一人で食べさせて、自分は部屋の片づけ等の仕事をしていたのです。一人でテーブルについても、おいしく食べられるはずがありません。Aちゃんのまなざしから、そのことに気づいた自分は、急いで自分のお茶を用意して、Aちゃんといっしょにテーブルにつきました。「おいしいね」等と話をしながら、いっしょにお茶を飲んでいると、Aちゃんもおいしそうに補食を食べ始めたのです。

 Aちゃんの料理(?)は、「こっちを向いて、わたしを見て」というアピールだったのでしょうね。それ以降、補食はAちゃんとのティー・タイムになりました。食べさせるだけ食べさせて、さっさと片づけてしまうという時間から、子どもと向き合って、ゆっくり過ごすための時間になりました。途中でお迎えが来ても、最後までしっかり食べているので、親御さんには申し訳ない気持ちでいっぱいですが...。

 目に見える行動だけでは、判断を誤ってしまうことが多いのかもしれませんね。より適切な対応をするためには、その時々に子どもが感じていることや思っていること、そしてそれが意味するところを正確に理解する必要があるんだと思います。それが、あの頃学んだ「ともにある」ということであり、自分が保育士としてありたい姿そのものなのだと思います。子どもたちの気持ちに、少しでもよりそえる存在になりたいと、心から願う毎日です。

2022年5月1日日曜日

2022/05/01 やめられない性格 (ぱぱさん)

 2022年3月3日朝日新聞(夕刊)の記事からはじめます。「才能とは能力ではない。やめられない性格のことだ」まずは見出しから目を惹きます。日本語学者の金田一秀穂先生、かっこいいですねー。


 先生曰く、「研究活動でも、芸術でも、スポーツでも、一つのことを一心に続ける人たちに対して、周囲の人々は尊敬のまなざしで見つめる。『あの人は、決してあきらめない。持久力がある。不断の努力だ。素晴らしい...。』でも、そうじゃないんですよ。やめたくても、やめられないの。」、「今から5年くらい前、米国の心理学者ダックワース氏の著書において、GRIT(情熱と忍耐・やりぬく力)、これが成功の秘訣だと分析した。でも、本当はそんな結構なものじゃない。単にやめられない。」、「努力じゃない、好きだからやる。周りの人にも恵まれて、気がついたら成功していたというだけですよ。」

 子どもは、ある意味、「やめられない天才」ですよね。例えば...。毎朝、登園すると広告紙を指で小さくちぎって、空気清浄機の上向きの吹き出し口の上で手を離すお子さんがいます。広告紙は、空気清浄機の吹き出す力で宙を舞い、毎日ご満悦のご様子です。次に、3階の階段の高いところで広告紙を放しても、下の2階の階段へひらひらと美しく舞うことを発見して、やめられない日々が続いています。この遊びは、2022年1月頃から3人組で始まり、その内の1人は3月に転園していったので、4月現在、2人組で楽しんでいます。かれこれ4か月は続いていることになります。「やめられない天才、ここに在り。」

 この天才さんは、「ちぎって離す」に特化しているので、後片付けにはまるで関心がありません。そんなある日、半ば強制的ではありましたが、スタッフが介入して、初めて自分たちの力で遊んだ残骸を片づけていただきました...。が、これは、「好きなことをやってれば誰もが天才なのに、その芽を摘み取ることにつながってしまうのではないか」と思ってしまったり、「ちょっとでもいいから、たまには片付けて欲しい」と願ってみたり・・・

 というか、子どもたちは、押し並べて片づけには関心が無いようです。それは、保育園の片づけの時間と、自由遊びが充実してクライマックスを迎える時間が重なってしまうからに他ならないのでしょう。それだけ楽しいということですね。

~ 片づけなんか忘れてしまうほど、遊びがやめられない日々でありますように ~

~ やめられない性格が残った大人になれますように ~

2022年4月6日水曜日

2022/04/06(水) 科学者と保育 (ぱぱさん)

 地球の内部構造を解明する研究の第一線で活躍していたご夫婦が、なんと2020年に埼玉県横瀬町で保育士に転身し、保育施設をつくったという記事が、朝日新聞に載っていました。


 施設名は「森のようちえん・タテノイト」、お二人の名前は舘野繁彦さんと春香さん。ともに東京工業大学で博士号を取り、研究機関に所属し、画期的な発見をし、米科学誌「サイエンス」に論文が掲載されたこともあるそうです。

 そんな日々が変わるきっかけは、2014年に生まれた長女さんを保育園に預けたことでした。繁彦さんは、園での子どもたちを見て、皆同じ遊びをしているのが、心に引っかかったのでした。そんなある日、家族の会話で、お子さんから「先生が言ったから」という言葉が出てきて、「子どもたちは、先生の言う通りに過ごし、意見が言いにくいのかもしれない。」、「このままでは、上の人が言うことに疑問を持たない、社会に無関心な人になってしまいそうだ」と感じたのでした。お子さんが3歳になり、登園を嫌がり始めたことも重なり、繁彦さんは自分で保育園を開こうと決めました。「他人との比較ではなく、自分の情熱に忠実な子ども、自己肯定感を持った子どもを育てたい。」

 一方、春香さんも、「社会に関心がある人を育てることが大切」、「『好きな事を認めてくれる』と感じられた子どもは、自信を持って興味を深めていける」、「子どもが、自分で考えて発言できる、そんな子どもたちの姿勢を保育者が認めるようになればいい」と、とても大切なことをおっしゃっています。

 一見、科学分野で順調なキャリアを重ねていったエリートが、「保育」という全く異なる分野に参入した話のように見えますが、実は共通項があったのですね。それは、「社会に関心があり、自己肯定感を持ち、自分で考えて発言、実行する」、そういう科学者でありたいということと、そういう子ども(人間)を育てたいという部分で、一致したということです。どちらも尊いお仕事です。

 さくらそう保育園は、大人の言う通りに動くことを良しとする保育園ではなく、「皆で同じ遊びをしないのもいい」、「子どもが自ら考えて実行できる」、そんな保育園でありたいなあと思います。

2022年4月1日金曜日

2022/04/01(金) このブログについて

昨年度まで、代表のぱぱさんが書いてきた[気まぐれコラム]ですが、今年度からは、東領家園の管理者のすけさんと、朝日園の管理者のうめさんが加わって、三人で順番に書いていきたいと思います。
それぞれの個性を活かした内容になると思いますので、どうぞご期待ください!

2022年3月2日水曜日

2022/03/02(水) マシュマロ・テスト

  「マシュマロ・テスト」、ご存じですか?満足を先延ばしする能力のテストのことです。子どもたちは、より多くのマシュマロをもらうために、目の前にあるマシュマロを食べることを15分間我慢するように言われます。実験では、半数の子どもたちが、15分間我慢できました。でも、半数の子どもたちは、15分間我慢することができず、目の前のマシュマロを食べてしまいました。1972年にアメリカでこの実験が行われた時に、子どもたちの平均年齢は4歳半でした。

 16年後の1988年に、実験に参加した平均年齢20歳半の元子どもたちの親(子どもたち自身ではなく)を調査すると、我慢できた子どもたちの親の学力と財力は、我慢できなかった子どもたちの親のそれより高いという結果になったのです。客観的に見るために、1990年にも再調査が行われました。しかし、結果は前回と同様でした。さらに、21年後の2011年、実験に参加した子どもたちが中年のおじさん、おばさんになった時点で、脳の検査をしました。我慢できた元子どもたちの脳では、我慢できなかった元子どもたちの脳より、計画や社会行動の調節に関係する前頭前皮質が活発に働く事がわかりました。反対に、我慢できなかった元子どもたちは、我慢できた元子どもたちより、快感や満足度などに関係する部位である腹側線条体の活動が活発でした。そして、前者は後者よりも、明らかに豊かな暮らしをしていることが分かりました。

 この結果は、教育者と親の間で、大いに話題になりました。より大きな収穫を得るために、ご褒美や満足を先に延ばせることと、頭の良さや経済力の高さとの相関関係が、明らかになったのです。しかも、そこには、脳の働きまで影響しているのです。

 今は見えないけれど、つかんだ時のより大きな喜びを想像して、自分をコントロールできる力が、将来的な賢さや経済力を得るための秘訣だったのです。お金持ちになりたければ、「知恵を使って、今は見えない大きなものを狙え」ということなのですよ。

 保育園でも、少ないおもちゃを懸命に取り合う時期をたっぷりと過ごす中で、少しずつ「順番の概念」を理解するようになり、本当はすぐにでも遊びたいけれど、順番が来るまでじっと我慢している...。そんな、けなげなお子さまの姿を見ていると、「君は、将来、大金持ちだ!」と心の中で叫んでしまいます。コロナウイルスへの感染の拡大は、世界中のどの国でも、いまだ終息の兆しが見えていません。つくづく、「地球はひとつなんだよ~」と言いたくなります。今は見えないけれど、いつか見えることを信じつつ...。

2022年1月31日月曜日

2022/01/31(月) いわせてもらお

 2022年1月8日(土)の朝日新聞、「いわせてもらお」のコーナーにこんな記事が載っていましたので、ご紹介します。

◎思いを伝えに
4歳の孫が時々、「幼稚園に行きたくない」と登園をしぶる。そこでママ(私の娘)は妙案を思いついた。「じゃあ、『行きたくない』って、先生に言いに行こう!」と言って、幼稚園にうまいこと連れて行く。行ってしまえば、帰りたがることもないという。我が娘ながら、あっぱれだ。(東京都北区・ガンバレ、うちの孫!・69歳)

 あっぱれですね!子どもが「行きたくない」と言っていることに対して、「そんなこと言ったらだめよ」と否定的になってしまいそうなところを、「言っていいよ、先生にね!」と肯定しているのです。正に妙案ですね。素晴らしい。

 そもそも、ちゃんと育っているお子さんは、大抵、登園時の親元から離れる瞬間には、大なり小なり不安定になるものなのです。なぜなら、お子さんと親御さんの愛着が、それだけ深いからです。だから、その深い愛着から離れる時、一抹の不安を覚えるのです。(逆に言うと、愛着が浅いお子さんは、親元から離れる瞬間、不安にならないのではと考えられます。それこそ心配です)

 「行ってしまえば、帰りたがることもない」、この見通しを持てることが素敵です。「不安なのは離れるその瞬間だけで、それを過ぎれば帰りたがることはない」と、あたたかく信じておられます。「今は見えないけれど、できないけれど、あなたなら大丈夫!信じているから...。」この広く優しい心が、お子さんのやる気と思いやりを育むことでしょう。

 さくらそう保育園でも、お子さま一人ひとりが立ち止まっている時、「今は見えないけれど、できないけれど、あなたなら大丈夫!信じているから...。」という心で向き合っていけたらいいなと願っています。

(コロナ禍、川口市から登園自粛のお願いが出されました。なにとぞ、ご自愛のほどを...。)