2023年7月31日月曜日

2023/07/31(月) ブログ移行のお知らせ

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さくらそう保育園

2023年7月3日月曜日

2023/07/03(月) 座談会 #3 [思いの背景]

(…前回からのつづきです)

(ぱぱ)
 小さな一言を聞き流さないで、推察していく姿勢は、「寄り添っていく保育」そのものだと思います。「良い保育士は、良い探偵でもある」とも言えそうです。

 では、次は、うめさん、子どもの思いをくみ取るという視点で、自由に語っていただけたらと思います。

(うめ)
 「子どもの思いを受け入れる」ということを考えた時、個人的に意識していることは、「できるだけ正確に、その思いの背景を理解する」ということです。

 たとえば、ある子が、他の子をたたいたり、噛んだりしてしまった場合、その行為が相手に与える影響(痛い、かなしい等)を説明し、「人の心や身体を傷つけることは、してほしくない」旨を伝える必要が、あると思います。しかし、その子が、そのような行動をしてしまった背景を理解できていないと、同じようなことが、二度、三度と起きてしまうと思います。発育・発達段階からすると、相手の気持ちを客観的に理解できるようになるのは、早くても4~5歳くらいからだそうですから、朝日園や東領家園のような0~2歳児さんの保育園では、なおさら、言葉の説明で理解することは、むずかしいと思います。

 そこで必要になるのが、行動の背景にある思いを理解し、その気持ちによりそった対応をすることだと思います。他の子に乱暴してしまう子にも、相手の子に自分の使っていた、おもちゃを取られてしまったり、作っていたものを壊されてしまったりして、かなしかったり、くやしかったりした…という思いが、あったのかもしれません。あるいは、前日、よく眠れていなかったり、朝ご飯を十分に食べられなかったりして、体調が万全ではなかった…という事情が、あったのかもしれません。さらには、保護者やスタッフに甘えて、受け入れてほしい…という思いの裏返しだった…ということも考えられます。

 その子の日々の様子や、他の子を含めた前後の流れ、そして、家族や他のスタッフからの話等、少しでも多くの情報を得るとともに、目の前にいる子自身を、しっかり見つめることで、行動の背景にある思いに共感して、それを受け入れられるような保育者になりたいと思います。このようなスタンスは、前回の話にあった「インクルーシブな保育」にもつながると思いますし、ひいては、わたしたちの目指す「さくらそう保育」になっていくんだと思います。


(ぱぱ)
 その通りですね。「心が乾いているので、潤して欲しい」という願いから、子どもの中から湧き出る言動に対して、表面に見える事象だけで優劣をつけてしまわずに、背景や裏側を見ていくことは、とても大切だと思います。

 一方で、ある意味、とても人間臭い感情を、素直に出してくる子どもも、いますね。

 例えば、私が忙しい時に限って、「ぱぱさん、ほん、よんで…」と、私に強引に絵本を持ってくる、ある2歳児さんがいます。しかし、私が、「忙中閑あり」と腹をくくって、その絵本を手に取り、ページをめくって読みだすと、その2歳児さんは、途端に、フラフラと、どこかへ行ってしまうんです。その2歳児さんは、私に本を読んで欲しいのではなく、私を自分の意のままに動かしたかったんでしょうね。だから、その目的は、私が本を読みだした瞬間に達成されて、その結果、すぐにフラフラと、どこかへ行ってしまったんだろうと思いました。「忙しそうな私を、独り占めしたかった」ということですね。「独占欲」

 また、別の2歳児さんですが、同じ空間にいる、お友だちが、大切そうに抱えているクルマのおもちゃを見て、それを強引にひったくってしまいました。でも、ひったくったクルマで、自ら遊ぼうとはしないのです。少しも遊ぼうとせず、そのクルマを、部屋の隅っこに、そっと捨てるのです。遊びたくもないクルマを、なぜ、ひったくるのでしょうか? ひったくった結果、ひったくられた、お友だちは、おそらく泣きますよね。この2歳児さんは、それが目的だったようです。お友だちが、泣いている姿を見るのが、本人にとっては、楽しいことのようなのです。これは、「他人の不幸は、蜜の味」ということでしょうか。「お友だちの支配」あるいは「自分の序列の確認」

 良寛さんに、「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」という句がありますが、子どもたちは、保育園の中で、隠すこともせずに、実にいろいろな裏を見せてくれますね。それは、とてもドロドロしています。(もちろん、そうではない、可愛らしいところも、たくさんありますよ~。)でも、私は、「そんな子どもたちこそ、前向きにとらえていけたら」と思います。「独占、支配、序列といったことも、味わうべきなのではないか」と思います。十分に経験して、その結果、「いやな気持になるから、もうやめよう」と卒業してもらえたら、いいですし、あるいは、その感情を昇華させて、例えば、小説家になるなど、人類に有益な形になってくれれば、いいなぁと思います。「子どもが経験することに、無駄なものはない」


 すけさんは、どう思いますか?