2020年7月1日水曜日

2020/07/01(水) 全部食べきれなくても

 「食べ物に好き嫌いがある」ということは個性だという考え方があります。個性があるということは素晴らしいことで、尊重されるべきとなります。そのことを踏まえたうえで、お子さんの今までの食生活と一人ひとりの理解力とを照らし合わせて、「嫌いなものは食べなくてもいいよ」あるいは「一口だけでも食べてみようか」等、保育士はお子さんに言葉がけすることになるでしょう。

 一方、食べ物に好き嫌いがあることは個性とか個性ではないとかではなく、「出されたものは全て食べることがいいこと」という考え方があります。そういう人たちは「戦中戦後食べ物が無くて亡くなった先人に申し訳ない」とか、「食べ物を作ってくださった人に感謝の気持ちを表すためにも残してはいけない」というように思っているようです。お子さんの今までの食生活と一人ひとりの理解力とを照らし合わせるというよりも、「嫌いなものでも栄養が入っているから食べなさい」「全部食べなさい」という言葉がけになります。

 昭和初期から中期の時代なら、全部食べることは確かに大切なことかもしれません。でも2020年の現代それも我が国日本でと考えると、食べ物が無くてガリガリになって困る人よりも、食べ過ぎによる体重増加でダイエットが上手くいかずに困っている人の方が圧倒的に多いですね。

 これを読んでいるあなたに質問します。あなたは「全部食べきれなくてもおかわりできます」と言われた方がいいですか?それとも「全部食べないとおかわりできません」と言われた方がいいですか?「私自身は全部食べられなくてもおかわりできますと言われた方がいいのに、他者に対しては全部食べなさいと言っているかも」・・・もしもそういう方がいらっしゃったら、矛盾を解消できたら嬉しいです。「私は好き嫌いなどない、食べきれないことは無い」そういう方は、「もしも私に好き嫌いがあったら、」と思いをはせていただければと思います。

 私は、「食べ物に好き嫌いがある」ということは個性だと考えています。全部食べきれなくても好きなものをおかわりできたらいいなと思います。また、「食べ物を作ってくださった人に感謝の気持ちを表す」ことは大切ですが、そのためには全部食べるというより、「一口だけでも食べてみようよ」と提案するくらいがいいと思います。そして心のどこかに「今、食べたくないのは、その栄養素を必要としていないからであって、大人になれば身体が欲して食べるようになるはず」という希望があるといいなあと・・・

 みんなで楽しくおしゃべりしながら食べることは実に素晴らしい文化ともいえます。コロナの渦中、せめて家庭の中だけでも文化を絶やさずに。