2019年12月16日月曜日

2019/12/16(月) リコーダーという小宇宙

 今日は12月16日(月)、先週末の親子クリスマス会では保護者の皆さまのご理解ご協力のもと、楽しいひと時を過ごすことができました。ありがとうございました。

 さて、クリスマス会の中のスタッフの出し物に、リコーダーアンサンブルがありました。このリコーダーという楽器は、日本では、誰もが学校で出会う楽器ですが、改めてその素朴な音色に心を奪われてしまいます。今回は讃美歌を2曲演奏しましたが、なかなか味わい深いものでした。(当日は緊張してちょっと失敗しましたが・・・)

 この楽器、その表現できる音域は、プロの人で2オクターブ、一般人(かなり上手い人)では1オクターブ半くらいなのですね。私たち素人スタッフには、全部の穴を塞ぐことも難しく、高音部のクロスフィンガリングも難しく、♭や♯も難しく、結局1オクターブと3音ほどしか出ないことが判明しました。でも、その限られた音程を駆使して、1番はメロディ、2番はハーモニー、3~4番は別の旋律といったように、4声のパートに分けて譜面を作成し、2か月近くかけてコツコツと(コソコソかな(笑))練習してきたのです。まあ全員揃っての練習は保育中には叶わなくて、案の定クリスマス当日ぶっつけ本番となりましたが、、、<(_ _)>

 低音から高音まで7オクターブと四分の一もあるピアノの演奏は素敵ですが、リコーダーの1オクターブと3音の演奏も乙なものです。ピアノが圧倒的な音域とダイナミックレンジで迫ってくるのに対し、リコーダーは音程が交差し合う感じが実に美しく、音が絡み合う感じは正に端正で美しいものです。ピアノが大宇宙だとしたら、リコーダーは小宇宙ともいえますね。ともに一つの完成形のような気がしました。


 ところで、大人が大宇宙だとしたら、子どもは小宇宙、ともに一つの完成形であり、優劣があるものではありません。そのことを確認し合いたいと思います。もうすぐ本当のクリスマス、それぞれのご家庭で楽しいクリスマスをお過ごしいただければ幸いです。

2019年11月27日水曜日

2019/11/27(水) 葉っぱ

 直径1.5mはある大きな葉っぱを持つ植物を園庭で育てています。中心部分に注目してください。

 何やら見覚えのある形ではありませんか?そう、ブロッコリーです。大きなおおきな葉っぱでお日さまの光を受けブロッコリーに栄養を送っているのですね。それにしてもこんなに大きな葉っぱが必要だったなんて知りませんでした。

 「園庭のこの土の量では、3株しか植えられないよ」と園芸店のご主人が言っていたことを思い出します。私は「そんなことないだろう、倍(6株くらい)は植えても平気なんじゃないか」と思いましたが、ご主人の言う通りでした。このブロッコリーは、お店では100円から200円位で売られていますが、こんなに場所をとるのであれば、もう少し高い値段じゃないと採算が取れないのではないかと心配してしまいます。

そして、真っ赤なシクラメン...。今、3階の保育室にあります。売っているおじいさんが、面白いことを言っていました。「シクラメンの良し悪しは、葉っぱで決まるんだよ。ここにある二つのシクラメン、花だけ見ると同じように見えるけど、葉っぱを触ってごらん。良いシクラメンは、葉っぱが固いんだ。」と...。触ってみると、なるほど、一方は柔らかい葉っぱのシクラメンで、もう一方は固い葉っぱのシクラメンでした。

おじいさんは、さらにこう言いました。「葉っぱの数にも違いがあるんだよ。固い葉っぱは、数が多いんだ。実は、花の数と葉っぱの数は同じで、一枚の葉っぱに一輪の花が咲くんだよ。だから、葉っぱの数は、多い方が良いんだ。」

 私たちは、ついついブロッコリーの美味しい可食部分やシクラメンの花の美しさに目や心を奪われてしまい、葉っぱにはあまり目が向かないように思います。でも、それらをしっかりと支えてくれていたのは、葉っぱだったんですね。葉っぱ無くしては、ブロッコリーもシクラメンも無い...ということなんだと思います。


 お子さま一人ひとりのまわりにある、見えないけれど葉っぱのように優しい、ご両親やご家族、それにお友だちやスタッフという支えがあるからこそ、今、このお子さまが存在するんだと思った時、それは、かけがえのないことだと思います。

 スタッフ一人ひとりのまわりにある、見えないけれど葉っぱのように優しい、ご両親や配偶者やご家族、そしてお友だちや他のスタッフという支えがあるからこそ、今、このスタッフが存在するんだと思った時、それもまた、かけがえのないことだと思います。

 ところで、シクラメンのおじいさん、そんなに正直に良いシクラメンから売ってしまうと...。良くないのばっかりが残ってしまい、後で売れなくなってしまうんじゃないかしら...。

2019年11月12日火曜日

2019/11/12(火) テレビ

元郷園では、毎日夕方の4時30分、もしくは5時を過ぎると、2階の保育室に全園児が集まって、保護者のお迎えを待ちます。お迎えを待つ間、子どもたちはめいめい好きな遊びをしたり、保育士と歌をうたって楽しんだり、NHKの子ども向け番組等を見たりしています。

時折、保護者の皆さまから「お迎えに行くといつもテレビを見ている」と、お問い合わせを受けることがあります。なので、ここはきちんと説明をしなければと思います。

保育園の生活は、7時から19時までの一日12時間と、とても長いものです。その内、テレビを見て過ごす時間は、その日によって前後しますが、17時~17時半くらいから18時過ぎまでです。昼間の時間はテレビは見ませんし、18時を過ぎるとお子さんの数が少なくなるので、テレビを消して自由遊びを行っています。

元気に過ごしているお子さんも、たとえ昼寝をしたとしても、夕方になるとだんだん疲れが出てきます。お子さんの疲れを考慮すると、夕方以降はなるべく家庭に近い環境設定の下、ゆったりゆっくり過ごす方が望ましいと思います。そこで、テレビの使用が考えられます。NHKでは「子どもによい放送プロジェクト」という研究機関をつくり、研鑽を重ねているようです。当園では、このような良質の番組を選んで提供しています。プロジェクトでは、仲間や保育士と会話しながらテレビを見ることと、子どもだけで一方的に見続けることには、大きな違いがあると結論付けています。当園では、お子さんに寄り添って会話をしながら見ています。なお、NHKだけでなく、他者のために自分を捧げる哲学を持つ、やなせたかし氏の「アンパンマン」も見ています。

一方、世間的には、保育士は重労働な職業の一つと言われています。朝から真剣にお子さんと向かい合い、自発性と思いやりを育むような環境作りに心血を注いでいると、その疲労は夕方ごろにピークを迎えることになります。保育士を守る意味でも、「子どもによい放送プロジェクト」監修の番組等を用いることには意味があると思います。

お迎えの時間とテレビを見る時間が重なってしまうので、保護者の皆さまよりご意見があることは重々承知しています。ですが、このように考え実践していますので、広い心で受け入れていただけましたら、まことに幸いです。

2019年10月24日木曜日

2019/10/24(木) そのままでよしとする

 ディズニー映画「アナと雪の女王」の主題歌「ありのままで」で一気に有名になった「Let it go」というフレーズ。「ありのままで」という和訳は、正確には正しくないそうです。「let it go」の本来の意味は、「何もしないで」、「放っておこう」、「忘れよう」だそうです。ですから、「ありのままで」とは、少しニュアンスが違う気がしますね。

 アメリカでは、悩みや怒りがあったり、トラブルに巻き込まれている家族や友人に対してアドバイスをするときに「let it go」を使うそうです。「そんなこと忘れようよ」、「それは放っておいた方がいいよ」という意味で使います。「let it go」は、具体的な解決策を提案しているわけではありません。つまり、「具体的な解決策がない悩み」に対してのアドバイスです。そのため、心理カウンセラーなどは、よくこのフレーズを使います。「それ以上問題にせず、そのままでよしとする」という意味になります。

 さて、音楽の教科書にも載ったビートルズの「Let it be」。良く似たタイトルですね。両者ともに「放っておく」という意味となるそうです。訳も同じ、違いはgoとbeだけのようですが、実はかなり意味合いが異なります。実は”Let it be”とは、”Amen”を表す言葉です。元はヘブライ語、キリスト教の言葉で、日本では「アーメン」と訳されるあの言葉です。和風に表現すると「天の神さまの言うとおり」が近い表現でしょうか。ビートルズの歌う「Let it be」には次のような解釈があります。「神さまはきっと見ていてくださる。救われることを信じて,今はじたばたせずに結果を待とう。」Let it be = Amenと考えれば、かなりしっくりきますね。また、歌詞を見ても、かなりキリスト教色の強い歌であるとも言えます。まさに「神さまの言うとおり」ですね。

 つまり、アナと雪の女王で、エルサが自らの取り巻く状況を「Let it be」ではなく「Let it go!」と歌うのは、「神さまや誰の意思でもなく、自分の意志で気にしないと決めた。」という、力強い決断を示している、ということになります。

 「具体的な解決策がない悩みに対して、それ以上問題にせずそのままでよしとする。自分の意志で気にしないと決める」この考え方はいわゆる「悟る」に近いのではないかと思います。


 私たちは、ついつい保育の場面で(あるいは子育ての場面で)、自分の思い通りにならない子どもたち(我が子)の「今できない現実」に対して、必要以上にイライラしたり、がっかりしたりしてしまいがちです。でも、ここまでアプローチしたのだから、あとは、それ以上問題にせずそのままでよしとする、そんな視点が求められているように思います。

2019年9月20日金曜日

2019/09/20(金) 練習を必要としないで誰でもその場で楽しめるような

2019年9月14日(土)、さくらそう保育園の運動会が無事に終わりました。老若男女、総勢250名もの皆さまにお集まりいただきました。まことにありがとうございました。

皆さま、参加してお気づきになったと思いますが、次の点で大変ユニークな運動会だと思われたことでしょう。

(1) 歌もダンスもラジオ体操も、ギターとフルートとサックスの生演奏だったこと
(2) ダンスの2曲は、生演奏であるだけでなく、作詞、作曲、振り付けに至るまで、全て手作りのオリジナルだったこと
(3) プログラム全体にわたり、練習を要するタイプのものではなく、練習を必要とせずに、誰でもその場で楽しめるものであったこと

(1)について
みなさん、「運動会なのに、何で演奏会みたいに、正面にギターに木管楽器にPA装置が鎮座してるの?」と思われたことでしょう。そう、生演奏は準備も運搬も大変です。それに、素人の生演奏なので、練習を重ねてもどうしてもミスが出てしまうものです。
しかし、それこそ血の通った温かみのある音楽といえるのではないでしょうか。まあ、好きでやってるともいえますが・・・。生演奏には、ミスという味わいがあるのです。また、「失敗しても構わないからチャレンジしようよ」という姿勢の具現化でもあります。なんちゃって...

(2)について
今回は、「だいへんしん」と「元気一番ロックンロール」が、完全なオリジナルでした。
一方、世間に出回っているダンス曲を掘り出してきて、それを活用するというのが一般的だと思います。「あるものを使う」ということです。
しかし、その行為のさらに上のステージがあると思われます。それは、「無から創造すること」だと思います。さくらそうのお子さんには、創造する力を身につけて欲しいと願っています。
そこで、「大人だって創造してるんだぜ」と背中を見せているわけです。(自画自賛、ごめんなさい...)さくらそう保育園で、遊びを通して自主性を身につけたお子さんは、創造力が豊かなはずです。

(3)について
ちょっと話が長くなります。
今から35年前、私が新米保育士として仕事を始めた頃、一番いやだったことは、入園式から始まり、園外保育、誕生会、運動会、バザー、クリスマス会、発表会等々、次からつぎにやってくる行事をこなしていくことでした。なぜいやだったかというと、この行事による保育の本質は、「子どもが自ら考え、行動することを援助する」というものではなく、「大人の考えに子どもを従わせる」というところにあったことでした。私は気乗りしないのです。
でも、新米なので、そんなこと言えるわけありません。仕方なくやりました。子どもに無理な競争を強要するようになり、だんだん保育が楽しくなくなりました。行事が終わって「次の日から遊べる~」と思っても、次の日は次の行事の練習となるのでした。無意識に、子どもに当たっている自分がいたかもしれません。そんな私の姿は、毎週職員会議で議題となり炎上しました。「保育士には向いてない」、「使えない」等、今でいうところのパワーハラスメントを受け続ける日々でした。
じゃ~ん!それから35年経ち、今、「子どもが自ら考え、行動することを援助する」保育園を自分で建てました。

話し戻って、練習を必要とせず、誰でもその場で楽しめるものが、さくらそう保育園の運動会の主なプログラムでした。
練習をしないので、その分、保育園では好きな遊びに没頭できます。練習をしないので、その分、保育園ではお友だちとの交流が楽しめます。練習をしないので、その分、保育園ではいざこざやケンカを体験できます。このような体験を通して、今は見えないけれど、やがてお友だちにも痛みや思いがあることに気づき、思いやりの心が育つのです。
一方、一般的には、練習中にケンカをすると、即「やめなさい!」と言われてしまうので、おちおちケンカもできないのです。表面的には、ケンカが無いように見えますが、それでは中身が育ちません。さくらそう保育園では、目に見えにくいものを大切にしたいと思っています。