2020年12月1日火曜日

2020/12/01(火) 小さい時期に非認知能力を!

この図をご覧ください。どちらも大切なことですが、小さい時期のお子さんには、「『非認知能力』の方を先に体験させることが大切だ」ということが話題になっている昨今です。



「感情をコントロールする力」、「人とうまくかかわる力」、「目標に向かってがんばる力」、どれもとても大切ですね。さて、実際に元郷園でのお子さまたちはどうでしょうか・・・。欲しいと思うおもちゃを誰よりも早く自分の手に入れようと必死ですねえ・・・。一度つかんだら、なかなか手を放しませんなあ・・・。お友だちが持っているおもちゃを無理やり奪おうとする時のセリフが「順番!!」順番には、ズル込みの意味はなかったような?

でも、学んだこともあるのですよ。それは・・・。誰かが使っていても、そのお友だちが手放したら自分のものにしていい・・・。手放さなくても、「おまけの汽車ポッポ」の歌を歌い、終わったら次の人が使える・・・。似たものを使うことで妥協する・・・。別の遊びに切り替える・・・。同時に、トラブルの不満をスタッフに訴える力も確実に伸びてます。全て生きる上で大切な学びです。

2階では、スタッフがナレーションで仕切り役になれば、「オオカミと3匹のこぶた&7匹の子ヤギ」の劇ができるようになってきました。「フーフーのフ~」で飛ばされて次のお家へ移ったり、段ボール箱の中に隠れたりするお子さんたちの姿は、実に生き生きしています。なんと、こども広場でのサッカーでも、マイボールとしてキープするより、みんなで一つのボールを追いかけた方が面白いことに気づいてきましたよ。

3階では、スタッフを介さないで、お友だちの間で「鬼滅の刃ごっこ」が盛り上がっているのがすごいです。たんじろう、ゆずこ、いのすけ等、役決めをした後、それぞれのアイテムを協力して作って身体に装着し、紅蓮華を歌いながら走り回っています。「感情をコントロールする力」、「人とうまくかかわる力」、「目標に向かってがんばる力」、どれが欠けても、ごっこ遊びは続きません。それが続くわけですから、大したものです。

実は、非認知能力は、学ばせるというよりも、子ども自身が遊びの中から学んで身につけていくものです。“遊び”とは、おもしろいと興味を持ったものに自分から近寄って、夢中になって、いろいろ試しながら世界を知っていく行為です。

文科省、厚労省、保育学会では、非認知能力を高める保育を推奨していますが、巷では、認知能力を高める、いわゆる「お稽古保育園」がまだまだ人気のようです。さくらそう保育園は、非認知能力の獲得を目指したいと思います。「人が40歳になった時に、幸せな人生を送っていたい(ペリー・プレスクール・プロジェクトでググってください~)」と願うのならば、「小さい時期の遊びを存分に体験すること」です。


ところで、この写真はコナラの幹で、元郷園のシンボルツリーです。風で倒れるのを防ぐため竹に縛り付けていたロープが朽ちなかったため、木の成長と共に幹に食い込んでしまいました。苦しそうです。でも、よく見ると、この部分は他の部分よりも太く立派に見えます。もしかしたら、木は「このままでは、縛られた部分が弱くなるのではないか?」と考え、その対策として、縛られたところの周辺の幹を太くたくましく変身させたのかもしれません。誰からも教わらないのに、木自らが物理的に計算して補強したように見えます。

先ほど、「“遊び”とは、おもしろいと興味を持ったものに自分から近寄って、夢中になって、いろいろ試しながら世界を知っていく行為です。」と書きましたが、これは木の“遊び”なのでしょうか?

2020年11月2日月曜日

2020/11/02(月) ラジオやテレビの話題から

 TBSラジオで毎週日曜日の午前7:40からやっている「石川實 DAIRY LIFE」の10月4日(日)の放送で、DJの石川さんは「違いが分かる本当の大人とは、自分の中にあるインナーチャイルドを忘れない人ではないか。子どもと大人の間にある広さや深さといった奥行きのようなものを理解している人こそ本当の大人だ」という趣旨のことを話していたのが心にとまりました。

 インナーチャイルドとは、心理学用語で、大人になっても心の奥底に存在している、幼い頃の傷ついた記憶や感覚のことを言うのだそうです。その傷ついた心を大人になっても忘れずにずっともち続けられること、その傷に負けずに乗り越えることで前向きに強くなれること、さらに同じような傷をもつ他者に共感して優しくなれること...。そのような大人が、本当の意味で「違いが分かる大人」なのではないかと、石川さんは語っていました。いいことを言いますね。そうだとすると、幼い頃の心の傷も、決して無駄とは言い切れないのですね。今、悩んでいる大人に、「あなたは違いが分かる本当の大人に一番近い」ということを伝えたいと思います。

 話は変わって、TOKYO MXテレビの朝のニュース生番組「モーニングCROSS」の9月29日(火)の放送で、コミュニケーションコーチの山崎洋実さんは次のように語っていました。

 「日本の子どもの精神的幸福度は、世界38ヵ国中37位」子どもの幸福度を測るユニセフ(国連児童基金)の調査で、日本は先進国や新興国など38ヵ国中20位。中身をみると、体の健康の分野では1位になりましたが、精神的な幸福度は37位となっているそうです。今の日本の子どもたちは、勉強はできるけど生きていく力が低い。友達ができない。特に日本は15~19歳の自殺率が非常に高いとのこと...。辛いですね。

 出演者の話し合いは、白熱していました。解決策として、次のような趣旨のことが話されていました。

1. 褒めるべきは、行動や才能ではなく存在。「上手だね」、「頭が良いね」というよりも、「一緒にいて楽しいね」、「あなたのままがいいよ」

2. 結果よりもプロセス(経過)を大切にする考え方への方向転換が必要。「結果を出せ」というよりも、「あなたはよくやった」

 さくらそう保育園の保育も、行動や才能といった目に見えるものを大切にするというよりも、当たり前すぎて誰も見ようとしなくなったからこそ、存在という見えにくいものを大切にする保育でありたいなあ。結果にこだわらず、プロセスをみる保育でありたいなあ。さくらそう保育園を卒業したみなさんが、幼い頃の傷ついた記憶や感覚を忘れないで、それらを乗り越えて、強くて優しい違いの分かる本当の大人になってくれたらいいなあ。

園庭のシンボルツリー(コナラ)に初めてドングリが実りました!

2020年10月1日木曜日

2020/10/01(木) くるくる棒


 新聞紙や広告を丸めてセロハンテープで止める、いわゆる剣作りですが、今年のお友だちは「くるくる棒」と名付けているようです。その年によって剣だったりくるくる棒だったり、言い方にも違いがでるなんて楽しいですね。このところ、ほぼ毎朝スタッフルームで展開しています。

 お友だち「ぱぱさん、くるくる棒つくって~」
 私「いいですよ~」

 順番を守れば必ず作ってもらえることにより、今は見えないけど数分後は作ってもらえることを想像して安心する力、信じる気持ちが育ちますね。また、欲しいお友だちが数人~10人以上集まると、順番を守らなかったら作ってもらえません。そこで順番という概念を学ぶことができます。さらに、その場で待っていなければ、言い換えれば、あっち行ったりこっち行ったりしていたら、作ってもらえないので、否が応でもじ~っと待つ習慣が身につくようになります。

 たくさん作り過ぎると、材料が枯渇して生産がストップしますね。「昨日作り過ぎて今日は材料がないので、作ることができません。」それもいいですね。そこから「枯渇を防ぐためには、どうしたらいいだろう?」という話し合いを経て、ひとり1本が原則というルールが生まれたりします。また、周囲に無造作に捨てられているくるくる棒の気持ちを、「わたし(くるくる棒)、捨てられて悲しいよ~」などと保育士がなりかわって代弁したりすると、それを聞いていたお友だちに大事に使おうとする心が育つことにつながります。

 「丸めた両端は重なりが少ないため、ふにゃふにゃしている」ということに気づくのは、物理の芽生えです。その部分を不要と考えたお友だちは、両端のカットを希望してきます。やがて、前もって「切ってください」などというようになり、見通しをもつことにつながっていきます。

 自分で作るお友だちも出てきます。太かったり、ラッパ状にできあがったりします。とても良い作品だと思います。両端が細くて真ん中が太い形を「おいも」などと言うお友だちもいて、イメージする力に感心しています。また、面白いところでは、ぐちゃぐちゃに使い古されたくるくる棒を持って一言「へび(^_-)-☆」と言って喜ぶお子さんがいました。新たな価値の発見ですね、素晴らしい!さらに、くるくる棒を十字架の形に組んでテープで止めて喜ぶお子さんがいます。きっと、その形が心の琴線に触れたのでしょうね。

 何度も繰り返し丸めることにより、その形がだんだん細く変化・進化・深化してくると、そのお子さんのやる気や自信につながっていきます。一方、大きなお友だちが小さなお友だちに「つくってあげるね」と言って作ってあげる場面を見ると、思いやりが育っていることを感じます。本園で最も大切にしている「やる気と思いやり」が、こんな小さな活動の中でもはっきりと現れているのですよ。

 今後は、3階の保育室では、セロハンテープの切り方を覚えるような取り組みや、はさみを自由に使える環境を作ることが課題かなと思います。また、「つくってください」、「ありがとう」の言葉がけがでたらいいなと思います。

 何はともあれ、朝、登園し、おうちの方とバイバイした後の少々の不安を、「せかすことなく」、スタッフルームで一息つくことで解消し、その後、各保育室に「ゆっくり」向かって行く、子どもにとって必要なルーティーンになっているようです。

 最後に、元ウルグアイ大統領のホセ・ムヒカさんの著書「世界でいちばん貧しい大統領からきみへ」(汐文社)から一節を載せます。「・・・だから、大切にしないといけないんだよ、人生という時間を。なかでも、子ども時代はもっとも幸福な時期だ。大人は子どもをせかさないでほしい。子どもは遊んで、遊んで、遊んで、幸せにならないといけない。知識、知識、知識、情報、情報、情報、と急いで与えないでほしい。子どもはゆっくり育つべきなんだ・・・」

2020年9月1日火曜日

2020/09/01(火) 子どもはなぜ縁石の上を歩くのか?

  NHKの人気番組、「チコちゃんに叱られる」2020年8月21日放送分の中で、「子どもはなぜ縁石の上を歩くのか?」ということがテーマになっていました。専門家によると、答えは「限界に挑戦し、己の能力を高めるため」だとのことでした。

 深掘りしてみますね。これらの子どもの特性は、二つの要素に分けて考えることができるとのことでした。

 一つは「アフォーダンスの発見」。アフォーダンス(affordance)とは、「与える・提供する」という意味を持つ「afford」を元にした造語であり、「人や動物と物や環境との間に存在する関係性」を示す、認知心理学における概念だそうです。アメリカの心理学者、ジェームス・J・ギブソンによって提唱されました。具体的には、「縁石には、『車道と歩道を分ける』というアフォーダンスがあるけど、『上を歩く』というアフォーダンスもあるね。新しい使い方を発見したよ。楽しい~」ということです。「こんな使い方もできるぞ!」といった新たな発見は、知的発達に大いに寄与することでしょう。

 もう一つは「フロー体験」。フロー(flow)体験は心理学の用語で、没頭、夢中、熱中といった、自我を忘れて物事に集中する体験だそうです。できるかできないかの限界の最中に感じる幸福感で、簡単すぎても難しすぎてもフロー体験はできないということになります。歩き始めの子どもにとっては、まさに歩くことがフロー体験ですね、そして、もう少し大きくなると、縁石の上を歩くことこそが、できるかできないかの限界の体験になるのですね。

 ある日、園内の階段の手すり部分に手足をかけてぶら下がりつつ、懸命に横移動している子どもの姿が・・・。アフォーダンスの発見と、フロー体験の真っ最中ですね。限界に挑戦し、己の能力を高めている・・・のは分かりますが・・・。「ここから先は反対側に落ちて大けがするから、ここまでね」、「小さい子が真似してケガするから、いない時だけね」、「みんなでやると重さで手すりが壊れるから、一人ずつね」・・・。

 「アフォーダンスの発見とフロー体験」は、「限界に挑戦し、己の能力を高める」ために、子どもには必須のプログラムと言えるでしょう。もちろん、「安全が保障される」という前提があることは、大切だと思います。でも、個人的には、「危ないから、やめましょう」と思考をストップさせるだけではなく、他の使い方を模索したり、限界ぎりぎりの行動をしたりしている子どもたちの姿もある保育園にしていけたらいいな・・・と思います。

 ところで、このお絵描き中の写真は、「紙だけでなく、自分自身もキャンバスになる」というアフォーダンスの発見と、「ダイナミックの限界に挑戦し、没頭している姿」というフロー体験、そのものですね。


2020年8月3日月曜日

2020/08/03(月) 子どもの未来は、大人が子どもの失敗をどれだけ許せるかで決まる

 最近、自殺をする若者のニュースがたびたび報じられ、心が痛いです。逆境時の耐性に乏しい人が増えているのですね。きっと、子ども時代に「失敗を許される体験」を十分にしてこなかったのでしょう。

 漫画家の山田玲司さんは、著書「非属の才能」(光文社新書)の中で、次のように述べています。「(大人たちは、その乏しい体験から)人生には、いたるところに穴がある。私は、いっぱい落ちた。だから、お前には落ちて欲しくない。」子どもには、自分のように失敗した人生を歩ませないため、先回りして穴を埋め、しまいには「お父さんは、人生を全部先送りにしてきたんだ。だから、お前も最後まで先送りにして逃げろ。運が良ければ、逃げ切れるぞ。社会っていうのは、そういうもんだ。厳しいんだ。穴があったら、迷わず遠回りして行け。」

 でも、そのように生きてしまうと、先送りで「負け知らずの人生」を歩むことになりますから、ちょっとした失敗ですぐに挫折し、「もうだめだ」となってしまいます。結局、穴との付き合い方は、穴に落ちてみなければわからないものなのです。

 山田さんは、「親が本当に子どもにすべきことは、子どもの失敗やいたずらを容認することだ。」と考えておられるようです。「ミルクをこぼしただけで、鬼のように子どもを叱るお母さんがいる。もしかしたら、その子は上手く飲むための試行錯誤をしていたのかもしれないのに・・・。でも、お母さんは、問答無用でひっぱたいたりする。もしかしたら、そのとき、その子どもは空想の宇宙船で銀河を旅している最中だったのかもしれないのだ・・・。この時期に子どもの失敗を容認するということは、実は巨大な先行投資になるのだ。」家じゅうの調味料をひっくり返し、全ての化粧品をぶちまけている我が子に、「あなたは今、どんな旅にでているの?」と笑いながら聞いてみて欲しいものです。

 「ふざけないで!大切な物を台無しにして、ダメなものはダメだと教えるのが大人の役目です。」と言いたい気持ちも分からなくはないですが、それはともかく横に置いておいて、子どもの言い分を寛容な姿勢で聞くことによる効果を、冷静に考えていただきたいと思います。「高価な化粧品や、キャビアの瓶詰めよりも、あなたの挑戦に価値がある」というメッセージは、生涯にわたって子どもを支え、「失敗に負けない心」を作るのです。

 山田さん自身、ミルクをこぼしても鬼に怒られたことが無い、セロテープを一本丸ごと使って「セロテープ遊園地」を作っても、ベートーベンのLP版レコードをひっかいて傷をつけても、鬼は出てこなかったと述べています。それどころか、いつでも落書きができるように、壁に大きな模造紙を貼るという周到さで、家族は山田さんの試行錯誤を歓迎してくれたのだそうです。おかげで、山田さんは、何回連載を打ち切られようが、ブログが炎上しようが、平気でやりたいことを続けていられるそうです。


 保育園でも、子ども自身や相手を傷つける場面を除き、その失敗を許す余裕があったらと思います。また、子どもがやりたいと思ったときに、やりたいことができる環境の準備を怠らないでいられたらいいなと思います。「子どもの未来は、大人が子どもの失敗をどれだけ許せるかで決まる」のですから。

2020年7月1日水曜日

2020/07/01(水) 全部食べきれなくても

 「食べ物に好き嫌いがある」ということは個性だという考え方があります。個性があるということは素晴らしいことで、尊重されるべきとなります。そのことを踏まえたうえで、お子さんの今までの食生活と一人ひとりの理解力とを照らし合わせて、「嫌いなものは食べなくてもいいよ」あるいは「一口だけでも食べてみようか」等、保育士はお子さんに言葉がけすることになるでしょう。

 一方、食べ物に好き嫌いがあることは個性とか個性ではないとかではなく、「出されたものは全て食べることがいいこと」という考え方があります。そういう人たちは「戦中戦後食べ物が無くて亡くなった先人に申し訳ない」とか、「食べ物を作ってくださった人に感謝の気持ちを表すためにも残してはいけない」というように思っているようです。お子さんの今までの食生活と一人ひとりの理解力とを照らし合わせるというよりも、「嫌いなものでも栄養が入っているから食べなさい」「全部食べなさい」という言葉がけになります。

 昭和初期から中期の時代なら、全部食べることは確かに大切なことかもしれません。でも2020年の現代それも我が国日本でと考えると、食べ物が無くてガリガリになって困る人よりも、食べ過ぎによる体重増加でダイエットが上手くいかずに困っている人の方が圧倒的に多いですね。

 これを読んでいるあなたに質問します。あなたは「全部食べきれなくてもおかわりできます」と言われた方がいいですか?それとも「全部食べないとおかわりできません」と言われた方がいいですか?「私自身は全部食べられなくてもおかわりできますと言われた方がいいのに、他者に対しては全部食べなさいと言っているかも」・・・もしもそういう方がいらっしゃったら、矛盾を解消できたら嬉しいです。「私は好き嫌いなどない、食べきれないことは無い」そういう方は、「もしも私に好き嫌いがあったら、」と思いをはせていただければと思います。

 私は、「食べ物に好き嫌いがある」ということは個性だと考えています。全部食べきれなくても好きなものをおかわりできたらいいなと思います。また、「食べ物を作ってくださった人に感謝の気持ちを表す」ことは大切ですが、そのためには全部食べるというより、「一口だけでも食べてみようよ」と提案するくらいがいいと思います。そして心のどこかに「今、食べたくないのは、その栄養素を必要としていないからであって、大人になれば身体が欲して食べるようになるはず」という希望があるといいなあと・・・

 みんなで楽しくおしゃべりしながら食べることは実に素晴らしい文化ともいえます。コロナの渦中、せめて家庭の中だけでも文化を絶やさずに。

2020年6月2日火曜日

2020/06/02(火) 保育園は明るく楽しく健全な・・・

 長いながい自粛期間が、コロナと共に生きていく新しい生活様式を引き続き継続していくことを前提として、解除されました。

 登園初日の6月1日(月)、この日が事実上の入園日になる新入園のお友だちを除いて、在園のお友だちの様子が私には非常に興味深かったので記したいと思います。

 通常なら、週末ご家族で楽しく休日を過ごしたお子さんが、週明けの月曜日の登園時に、おうちの方と「さようなら」するのを嫌がることは、ごく普通の姿として認識しています。それは、やはり「保育園よりもおうちの方がいい」とお子さんが思うからではないかと考えています。

 心理学博士の掛札逸美先生は、「保育園は明るく楽しく健全な必要悪」とおっしゃっています。確かに、「保育園は、明るくて楽しくて健全なところである」と言えましょう。でも、子どもにとっては、「ママが一番、保育園は仕方なく行くところ」なのかもしれませんね。また、保育園がなければご両親のお仕事に支障をきたしてしまいますので、「保育園は、やむを得ずこの世に存在するものだ」と考えると、「必要悪」という指摘はある意味的確なのかもしれません。

 このことを踏まえると、2か月に及ぶ自粛期間中、大好きなご両親の元で過ごしたお子さんが、その状態から引き離されて保育園生活に戻るとき、お子さんのストレスは計り知れないものがあると想像していました。当然、6月1日の登園時には、あっちこっちで登園拒否のボイコットが起きるはずだと思っていたのです。

 ところが、いざ蓋を開けてみると、登園拒否はなぜか起きなかったのです。(繰り返しになりますが、新入園児さんはたっぷり泣きましたよ。例年の4月当初の光景が、6月1日にズレたといえましょう。)昨年度0歳児クラスで、今年度1歳さんになったお友だちも含めて、極めてスムーズに「いってきま~す」と母子・父子分離の儀式を済ませ、2か月のブランクなど微塵も感じさせないさまで、スタッフやお友だちとの再会を喜び、近くにあるおもちゃや遊具で遊び始めたのでした。

 巷では、自粛生活が続くことに伴う問題点として、「家族間のぎくしゃく」がクローズアップされています。それをそのまま当てはめれば、「家族間のぎくしゃくから解放される役割をもつ保育園」となります。しかし、私はそういうことではないと思うのです。あっちが塩梅悪くなったからこっちという「消極的な理由」ではなく、もっと「積極的な理由」があると思うわけです。この「積極的な理由」として、私は、子どもの育ちにとって、「ご家庭」という個人的な関係と、「保育園」という集団的な関係が、車の両輪のように、どちらも同じくらい大切で必要なのではないかと感じるのでした。この長い自粛騒動が、偶然にも子どもへの壮大な実験となったのです。

 まだ仮説の段階ですが、お子さまにとって、ご家庭>保育園と思っていたことが、実は、ご家庭=保育園だったのです。これは、保育園にとって凄いことです。「保育園は明るく楽しく健全な必要善」。


 保護者の皆さま、お子さまが生後8週目を過ぎたら、保育園にお預けください。