(ぱぱ)
「私たちがやりたい保育、目指している保育ってなあに?」ということをテーマに、語り合えたらと思います。言い出しっぺですから、ぱぱから語っていきますね。
今、世界的に、インクルーシブな保育が望まれるようになってきているのが、いいなと思います。
ぱぱの理解によると、インクルーシブな保育というのは、「少数派を大切にする保育」とでも言いましょうか。どのクラスにも、いると思うんですけど、いわゆるトラブルメーカー的なお子さんや、何となく仲間から外れていってしまうお子さんとかを大事にして、「急がず、ゆっくり、共に過ごす」ということですね。そして、それは、実は小数派だけではなく、なんと「多数派のためにもなる」という考え方なんです。
でも、実際のところ、少数派に合わせようとすると、その援助は、なかなか難しいんですよ~。「私の言うこと聞いて!」の真逆で、基本的には、「あなたの言うこと聞きましょう」という援助になるので…。私なんぞ、日々、オロオロしてます。
では、次にうめさん、ひとことお願いします。
(うめ)
インクルーシブな保育を考えた時、そこでまず必要になるのは、すべての子どもたちを受け入れようとする「受容」の姿勢ではないでしょうか? 一人ひとり違う子どもたちに対して、肯定的に接することが、ぱぱさんの発言にあった、「あなたの言うことを聞く」という援助につながるんだと思います。
さらに言えば、一人の子どもの中にある、さまざまな側面に対しても、受け入れていく姿勢が大切だと思います。滑り台は好きだけど、かけっこは苦手な子、歌は好きだけど、お絵描きには興味がない子等、好きなことや、きらいなことも、得意なことや、苦手なことも、誰にでもあるものだと思います。
そのためには、まず、わたしたち保育者自身が、「○○をしなきゃダメだ」とか、「△△はしちゃいけないんだ」とかいう、固定概念から解放される、ということから、始める必要があるんでしょうね。保育者が、このように考えていると、どうしても、その枠に収まり切れない子どもたちの行動が出てきて、「言うことを聞かせる」という保育になってしまうでしょうから…。その上で、表情や行動等で、子どもたちが表現していることから、その子の思いを感じ取って、その思いにそった援助ができるように、していきたいと思います。
(ぱぱ)
「受容」していきたいですね。「言うことを聞かせる」ことは、最小限にとどめたいものです。
今度は、すけさん、お願いします。
(すけ)
「インクルーシブな保育とは」と考えて、私の頭に浮かんだのは、「さくらそう保育園のうた」でした。歌詞の中に、「わらうことは いいね なくことも いいのだ」、「できることは いいね できないことも いいよ」とあり、それから、「すべてが ひつようさ」と続くのです。まさに、この通りなのだと思います。
私が、最初にこの歌を聞いた時、心がほっとするような、そんな気持ちに、なったことを思い出しました。きっと、子ども達にとってのインクルーシブな保育は、ほっと出来る保育になるのでしょう。
インクルーシブ、和訳すると、「包み込む」となるようです。園の歌の締めくくりには、「あなたに よりそう」とあります。包み込むように、寄り添った保育をしていけたらと思います。
(ぱぱ)
インクルーシブ、和訳すると「包み込む」、ここの定義が抜けてましたね。ありがとうございます。子どもが経験することに、無駄なことはないと、私も思います。そこで、「まだ、ことばのやり取りができない、0・1・2歳児のお子さんに対して、その子の思いをどうやって受容していくのか、寄り添っていくのか」について、考えていけたらと思います。
(次回につづく)
[参考]
園歌「さくらそう保育園のうた」
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