皆さま、参加してお気づきになったと思いますが、次の点で大変ユニークな運動会だと思われたことでしょう。
(1) 歌もダンスもラジオ体操も、ギターとフルートとサックスの生演奏だったこと
(2) ダンスの2曲は、生演奏であるだけでなく、作詞、作曲、振り付けに至るまで、全て手作りのオリジナルだったこと
(3) プログラム全体にわたり、練習を要するタイプのものではなく、練習を必要とせずに、誰でもその場で楽しめるものであったこと
(1)について
みなさん、「運動会なのに、何で演奏会みたいに、正面にギターに木管楽器にPA装置が鎮座してるの?」と思われたことでしょう。そう、生演奏は準備も運搬も大変です。それに、素人の生演奏なので、練習を重ねてもどうしてもミスが出てしまうものです。
しかし、それこそ血の通った温かみのある音楽といえるのではないでしょうか。まあ、好きでやってるともいえますが・・・。生演奏には、ミスという味わいがあるのです。また、「失敗しても構わないからチャレンジしようよ」という姿勢の具現化でもあります。なんちゃって...
(2)について
今回は、「だいへんしん」と「元気一番ロックンロール」が、完全なオリジナルでした。
一方、世間に出回っているダンス曲を掘り出してきて、それを活用するというのが一般的だと思います。「あるものを使う」ということです。
しかし、その行為のさらに上のステージがあると思われます。それは、「無から創造すること」だと思います。さくらそうのお子さんには、創造する力を身につけて欲しいと願っています。
そこで、「大人だって創造してるんだぜ」と背中を見せているわけです。(自画自賛、ごめんなさい...)さくらそう保育園で、遊びを通して自主性を身につけたお子さんは、創造力が豊かなはずです。
(3)について
ちょっと話が長くなります。
今から35年前、私が新米保育士として仕事を始めた頃、一番いやだったことは、入園式から始まり、園外保育、誕生会、運動会、バザー、クリスマス会、発表会等々、次からつぎにやってくる行事をこなしていくことでした。なぜいやだったかというと、この行事による保育の本質は、「子どもが自ら考え、行動することを援助する」というものではなく、「大人の考えに子どもを従わせる」というところにあったことでした。私は気乗りしないのです。
でも、新米なので、そんなこと言えるわけありません。仕方なくやりました。子どもに無理な競争を強要するようになり、だんだん保育が楽しくなくなりました。行事が終わって「次の日から遊べる~」と思っても、次の日は次の行事の練習となるのでした。無意識に、子どもに当たっている自分がいたかもしれません。そんな私の姿は、毎週職員会議で議題となり炎上しました。「保育士には向いてない」、「使えない」等、今でいうところのパワーハラスメントを受け続ける日々でした。
じゃ~ん!それから35年経ち、今、「子どもが自ら考え、行動することを援助する」保育園を自分で建てました。
話し戻って、練習を必要とせず、誰でもその場で楽しめるものが、さくらそう保育園の運動会の主なプログラムでした。
練習をしないので、その分、保育園では好きな遊びに没頭できます。練習をしないので、その分、保育園ではお友だちとの交流が楽しめます。練習をしないので、その分、保育園ではいざこざやケンカを体験できます。このような体験を通して、今は見えないけれど、やがてお友だちにも痛みや思いがあることに気づき、思いやりの心が育つのです。
一方、一般的には、練習中にケンカをすると、即「やめなさい!」と言われてしまうので、おちおちケンカもできないのです。表面的には、ケンカが無いように見えますが、それでは中身が育ちません。さくらそう保育園では、目に見えにくいものを大切にしたいと思っています。
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。