2022年10月15日(土)の朝日新聞の記事から、「堀真一郎さん」を取り上げます。まずは、先生のお話からご紹介しましょう。
「この学校は、いろんなものが“ない”ことが特徴です。『先生』と呼ばれる人がいない。学年がない。宿題もテストも通常の通知表もない。チャイムも鳴らない。校長はいるけど校長室はない。廊下もない。“ない”ものはまだまだあります。入学式や卒業式など、堅苦しい儀式もありません。子どもを叱る声も、ここでは聞こえてこない。こういうと、たいていの人は驚いて“いったい何があるのですか”と尋ねてきます」
「いったい何があるのかというと、答えは決まっています。“楽しいことがいっぱいあります”。学校を覗いてもらえればわかります。みんな、笑顔でしょ? この学校は、子どもたちの笑い声で満ちています。子どもの発見と成長があります。“学校は楽しくなければならない”。そう思って仲間と作ったのが、この学校なんです」
「教職員は大勢います。でも、『先生』でなく、『大人』と名付けています。それぞれ子どもたちからは、さん付けやニックネームで呼ばれています。私も『堀さん』です。『先生』の呼称を廃止したのは、大人と子どもの心理的な壁を取り払いたかったから。先生の指示を待つだけの子にしたくなかった。だって先生だからってエライわけじゃないですよね? 権威も必要ありません。教えるのではなく、子どもと一緒に、悩み、考えればいい」
「この学校は、いわゆる算数や国語といった教科の名が時間割にありません。その代わり、『プロジェクト』という名の体験学習が中心を占めます。プロジェクトは縦割りで、衣・食・住・表現の4つの視点から“生きること”を考え、追求していきます。プロジェクトとしては、工務店、ファーム、料理、ものづくり、劇団など、縦割りのプロジェクトがあって、子どもたちは希望するところに所属し、やる内容も自分たちで決めます。例えば、料理プロジェクトチームの話し合いで、蕎麦が年間テーマに決まったとします。子どもたちは、蕎麦について調べ、実際に種から育て始めます。近所の蕎麦屋に取材に行ったり、蕎麦粉と水の量を計算したり。そこには、国語や算数、理科や社会など、あらゆる基本教科のエッセンスが詰まっています。正解のあるドリルと違って、自分の頭で考えないと前に進みません。プロジェクトを担当する大人も、専門家ではありませんので、よく失敗しています(笑)。でも大人も失敗する、というのも子どもにとっては良い経験になります」
「なぜこのような学校を作ろうとしたかいうと、以前、大阪市立大学で教えていたのですが、その時、小学生に大規模な調査をしました。“学校で一番楽しいことは何か”という質問に対し、“授業”と答えた子がどのくらいいたと思います? 多い学校でたった5%でした。少ない学校ではわずか2%。少なくとも3割が“授業が楽しい”と思ってほしい。でも、そんな学校がないなら作るしかない。そう決意して作った学校が、きのくに子どもの村です。」
「子どもは好奇心旺盛で、大人の思うようにならないのが当たり前なのに、先生は、よい子であることを強いて、外れると叱咤する。子どもは、親や先生のいうことを聞くと評価されるので、自己決定しなくなってしまう。今の子どもを海辺に連れて行って “好きなことして遊ぼう” と言うと、“遊び方がわからない” と返ってくるのです。個性が発揮されるのも、自己決定の機会があるのも、『体験』です。言い方を替えると、自己決定、個性化、体験学習という3つの柱を原則にすれば、子どもたちがイキイキとした楽しい学校になります。これが、私たちがやろうとしている学校です。」
「学力はつくのかと心配する向きもあります。が、卒業生を追跡調査したところ、本校の子たちは総じて高校進学後の成績が良かった。大学進学率も高かった。考える力が身についているからでしょう」
(以上、堀真一郎さんのお話の引用元は、月刊誌『サライ』2022年8月号からでした)
このような、子ども主体の学校があるのですね。さくらそう保育園でも、保育士を先生とは呼んでいなくて、スタッフと言う表記をしつつ、子どもたちには「大人」と言っています。そして、互いに呼び合う時は、老若男女問わず、「○○さん」と呼び合っています。教えるというよりも、子どもたちと一緒に、悩み、考える日々です。さくらそう保育園は、子どもたちの笑い声で満ちています。そんなこんなで、日々、子どもの主体的な活動(自由遊び)を支えています。「きのくに子どもの村」と考え方が似ているような気がして、とても嬉しく思いました。
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