長いながい自粛期間が、コロナと共に生きていく新しい生活様式を引き続き継続していくことを前提として、解除されました。
登園初日の6月1日(月)、この日が事実上の入園日になる新入園のお友だちを除いて、在園のお友だちの様子が私には非常に興味深かったので記したいと思います。
通常なら、週末ご家族で楽しく休日を過ごしたお子さんが、週明けの月曜日の登園時に、おうちの方と「さようなら」するのを嫌がることは、ごく普通の姿として認識しています。それは、やはり「保育園よりもおうちの方がいい」とお子さんが思うからではないかと考えています。
心理学博士の掛札逸美先生は、「保育園は明るく楽しく健全な必要悪」とおっしゃっています。確かに、「保育園は、明るくて楽しくて健全なところである」と言えましょう。でも、子どもにとっては、「ママが一番、保育園は仕方なく行くところ」なのかもしれませんね。また、保育園がなければご両親のお仕事に支障をきたしてしまいますので、「保育園は、やむを得ずこの世に存在するものだ」と考えると、「必要悪」という指摘はある意味的確なのかもしれません。
このことを踏まえると、2か月に及ぶ自粛期間中、大好きなご両親の元で過ごしたお子さんが、その状態から引き離されて保育園生活に戻るとき、お子さんのストレスは計り知れないものがあると想像していました。当然、6月1日の登園時には、あっちこっちで登園拒否のボイコットが起きるはずだと思っていたのです。
ところが、いざ蓋を開けてみると、登園拒否はなぜか起きなかったのです。(繰り返しになりますが、新入園児さんはたっぷり泣きましたよ。例年の4月当初の光景が、6月1日にズレたといえましょう。)昨年度0歳児クラスで、今年度1歳さんになったお友だちも含めて、極めてスムーズに「いってきま~す」と母子・父子分離の儀式を済ませ、2か月のブランクなど微塵も感じさせないさまで、スタッフやお友だちとの再会を喜び、近くにあるおもちゃや遊具で遊び始めたのでした。
巷では、自粛生活が続くことに伴う問題点として、「家族間のぎくしゃく」がクローズアップされています。それをそのまま当てはめれば、「家族間のぎくしゃくから解放される役割をもつ保育園」となります。しかし、私はそういうことではないと思うのです。あっちが塩梅悪くなったからこっちという「消極的な理由」ではなく、もっと「積極的な理由」があると思うわけです。この「積極的な理由」として、私は、子どもの育ちにとって、「ご家庭」という個人的な関係と、「保育園」という集団的な関係が、車の両輪のように、どちらも同じくらい大切で必要なのではないかと感じるのでした。この長い自粛騒動が、偶然にも子どもへの壮大な実験となったのです。
まだ仮説の段階ですが、お子さまにとって、ご家庭>保育園と思っていたことが、実は、ご家庭=保育園だったのです。これは、保育園にとって凄いことです。「保育園は明るく楽しく健全な必要善」。
保護者の皆さま、お子さまが生後8週目を過ぎたら、保育園にお預けください。
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